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メディアのページ

アメリカ中西部から見るメディア社会

大庭絵里

(2005年2月8日付)


報道が差別や偏見を助長する危険性

マスコミは社会的な視点を


 犯罪事件の報道は差別や偏見を助長しかねない。それだけにメディアには社会的な視点が要求される。

 ニューヨーク・タイムズ紙の犯罪報道を過去にさかのぼり、人種との関係で調査したミズーリ大学社会学科教員ブレクフス氏によると、1960年代までは、ニューヨーク・タイムズ紙も、犯罪事件において、アフリカ系アメリカ人の被疑者を露骨に「ニグロ」といった差別語によって表現していたが、最近では、差別語を用いないかわりに、巧妙な形で非白人被疑者を差別的に報道している、という。

 たとえば人種的特徴が誰にでもわかる居住地での犯罪事件が報道されたり、顔写真などで人種的特徴を示すなど、一見、問題ないような形をとってはいるが、非白人が多く被疑者として報道されている、という。非白人は「こわい」という印象を読者に植えつけ、偏見を助長しているのも同然である、というわけである。

 注意して地元紙やローカルニュースを見れば、同様のパターンが、確かに見受けられる。強盗、強姦、殺人事件では、被疑者といえば、非白人という印象がぬぐえない。

 性に関する犯罪の報道はさらに複雑な問題を内包している。アメリカでは、性犯罪は、きわめて凶悪な犯罪としてみなされており、メディアも性犯罪については大きく取りあげる。大げさに言えば、毎日、性犯罪が起こっているのか、という印象さえ抱いてしまうほどである。強姦はもちろん、教員によるセクシュアル・ハラスメントや聖職者による子どもへの性的いたずらは、マス・メディアで大きく報道される。

 実際には、強盗や窃盗などに比べれば強姦の犯罪認知件数は少ない。しかし、数によって犯罪の重大さがきまるわけはない。社会がどれだけ性犯罪を逸脱として認識しているのかが、メディアに表れている、と考えるべきであろう。

 しかし、性犯罪への過度な注目に問題がないわけではない。特別な男性による特別な事件として扱いすぎるあまり、日常にひそむ性差別から目をそらしてしまいかねない。日常の性関係のあり方こそ重要であるのに、女性に対しては、より恐怖をうえつけ、行動の自由を奪ってしまうことにもなる。

 子どもへの性的いたずらに対しては、メディアがモラル・パニック(=社会学の用語で、ある事件や出来事が社会的価値や公共の利益への脅威として描き出され、場合によっては対応策が講じられるにいたるプロセス)を作り出しているような状態が生じる。また、有名人による強姦事件では、被害女性がメディアによって追い回されたために訴追を断念したケースもある、と聞いている。

 このようなアメリカから日本を見ると、被疑者が外国人であることを露骨に強調するニュースが何故、問題とならないのか、不思議である。また、被害女性に配慮したふりをして、妙に強姦を婦女暴行と言い換えたり、報道自体をためらって性犯罪を隠蔽してしまうことは大問題である。性暴力は個人間だけの問題なのではなく、社会における支配関係の問題でもある。どのようにニュースにするのか、メディアの力が試されているのである。

 (神奈川大学助教授、ミズーリ大学コロンビア校客員研究員)