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(2004年12月14日付)
逮捕が事件解決ではないと伝える |
アメリカの新聞では犯罪事件の報道が日本に比べて地域限定であり、報道件数も少ない。今回は新聞に限定して犯罪事件がどのように取りあげられるのか、考えてみたい。
去る11月、私の住むミズーリ州コロンビア市(人口は9万人弱)のそばのある町で、少年二人がレストランのオーナーを銃で殺害するという事件が起きた。
地元紙「コロンビア・デイリー・トリビューン」紙では、この事件を少年の実名と顔写真付きで1面からとりあげた。いわゆる「凶悪」事件の場合には少年であっても実名、顔写真付きで報道するというのは、全米的傾向のようである。一方、ミズーリ州を代表する「セントルイス・ポスト・ディスパッチ」紙では、この事件は一切掲載されなかった。
アメリカでの犯罪事件の報道に関する特徴は、やはり、公判が進行する中で、事件が詳細に報道されることである。こうした裁判報道は、被告人が無罪を主張したり、有名人がかかわるなどの「大きな」事件である。逮捕時点での報道とその後の公判報道は連続しており、一般的には、同じ記者が一つの事件をずっと責任をもって追っているようである。
「セントルイス・ポスト・ディスパッチ」紙は、ある殺人事件の共犯と疑われる女性(19歳)が果たして有罪か否かをめぐって、その公判を報道し続けた。9月の評決までの期間中、本人はもちろん、様々な関係者の証言が記事となった。最後まで彼女が殺人に関与したかどうかは不明なままだったが、状況証拠だけでは彼女を有罪にはできない、という論理で彼女は無罪となり、その無罪は1面で大きく報道された。
こうした裁判を含む事件報道に問題がないわけではない。逮捕時には、連行写真が掲載されることすらあり、決して「品格」のある記事と言えない場合も頻繁にある。さらに逮捕時の報道が偏っていれば、陪審にも影響を及ぼすことがこれまでにもしばしば指摘されてきている。
しかし、ほとんどを警察の情報に依拠する日本の逮捕報道と異なり、こちらでは被告人に関する情報を(プライバシーという問題はあるが日本よりは広く)知ることができる。また、逮捕が事件の「解決」ではないことを当然のように読者は理解することになる。むしろ、どのような捜査が行われ、どのような証拠があるのかが、重要な関心事となる。
誰が書いた記事かもわからず、逮捕時点に集中し、えん罪にも加担しかねない日本の犯罪事件の報道は、メディアだけの問題ではなく、刑事司法制度と深く関係する問題である。その意味で、アメリカの犯罪事件の報道は陪審制度とのかかわりにおいて理解すべきであろう。
この他、進行中の裁判だけでなく、過去の事件を掘り起こして考えさせる記事や、死刑判決の妥当性をめぐって議論する記事も、地元紙では少なくない。こうしたドキュメンタリー的な記事は、個々の逮捕事件を多く報道する日本の報道慣習よりも、はるかに犯罪について市民に多くを考えさせると思われる。(神奈川大学助教授、ミズーリ大学コロンビア校客員研究員)
略歴おおば・えり 静岡県生まれ。上智大学外国語学部卒業、同大学大学院文学研究科社会学専攻、博士課程満期退学。専門は逸脱・社会問題論、犯罪社会学。共同執筆として、矢島正見他『よくわかる犯罪社会学入門』(学陽書房、近刊)。