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(2005年1月25日付)
2004年のNHK『紅白歌合戦』の視聴率は、後半の第2部で39・3%(関東地区)と、初めて40%を割り込んだ。『紅白歌合戦』を成立させていた時代の終焉を感じさせた。
昭和戦後期のマス・メディアによる娯楽の代表は歌謡曲であった。「歌謡曲の時代」の特徴を生かして発展したのが『紅白歌合戦』といえよう。
ラジオ局の開局直後、講談や落語、浪曲などの聴取希望は多かったが、音楽の希望は少なかった。放送メディアの発展のなかで、歌謡曲という名称をもった流行歌は、新しい大衆娯楽として、メディアによる娯楽の代表になっていった。
レコードの技術的制約から、1曲3分間という短い時間に多様な世界が表現された。テレビ時代になると、見せる要素が加わり、多くのジャンルのものを取り込み、歌謡曲は多様化していった。さまざまなものを取り込めるから、その時代を表現する歌が出現した。逆に、歌によって、時代の気分が感じ取れるようにもなっていった。
『紅白歌合戦』は1年を締めくくるイベント性を持っている。スポーツ選手、芥川賞受賞作家など、その年に話題になった人が登場し、南極昭和基地からの中継までもおこなってしまう。さらには、俳優やお笑いタレントなどの登場するコーナーもある。多様な内容を取り込める歌謡曲の番組であったからこそ可能な内容であり、だからこそ多くの人びとが関心を寄せることができた。
また、実態としてはそれほど多くなかったとしても、テレビによる一家団欒で年越しをするというスタイルが、あるべきスタイルとしては可能であった時代でもある。
1970年代から80年代にかけて、テレビのまえで家族そろって、『レコード大賞』『紅白歌合戦』『ゆく年くる年』をみるのが大みそかの過ごし方として可能であった時代だった。「国民的行事」といわれるような番組は、そんな時代のものであった。
昭和が終わり、90年代をむかえると状況は変わった。歌謡曲というジャンルは使われなくなり、演歌やJ―POPなどに細分化していった。ミリオンセラーは増加していったが、時代を代表するような曲は少なくなった。TBS系列の音楽番組『ザ・ベストテン』は89年9月に終了した。時代を反映するものとしての音楽番組は、民放では90年代には姿を消した。全民放のオールネットで放送されていた民放の『ゆく年くる年』は88年に終了した。
90年以降でも『紅白歌合戦』の視聴率は50%程度を維持していた。出演歌手予想や司会者の紹介、小林幸子と美川憲一の豪華衣装対決などが、NHK以外のメディアでも伝えられることで関心をつないでいた。この意味では、『紅白歌合戦』は音楽番組という形態をとりながらも、メディア・イベントとしての色彩がより強くなっていった。今回は番組制作費詐取事件のため、そうした手法もとれなくなった。
「国民的行事」としての番組を成り立たせていた昭和戦後期の社会状況の終焉を明示する出来事でもあった。
(創価大学教授)