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【4】(2006年9月5日付)
主体的な姿勢をどう身につけるか |
「きょうは何をしに来たの?」という問いかけに、キョトンとした顔をする学生。少し間をおいて、「授業受けに来ました」とか「勉強しに来ました」と返事が返ってくる。「それはそうだね。だけど授業に出てきて、授業受けるのは当然だよね。だから授業で何を学びに来たの?」と問い直す。
すると少し困った顔をしながら「○○学を学びに来ました」とその授業の科目名を答える。そこで、「○○学の授業で○○学を学ぶのは当たり前だよ。だからきょうは○○学の何を学びに来たの?」とさらに問い詰める。ここで沈黙してしまう学生も少なくない。少し気の利いた学生だと「きょうは△□について学びます」と講義予定表に書いてある通りの講義題目(トピック)を読み上げるように返答する。
ここで慌ててノートやシラバスの講義予定表を見直す動きが教室中に広まる。それを受けて私は(内心、ニヤニヤしながら)「なるほど△□について学びに来たんだ。でも、君は△□の何について学びたいの? 何でそれが学びたいの?」と問い続ける。
たいていの学生はここで沈黙する。ここからの展開は様々だが、よく行うパターンは、クラス全体に向かって、「隣の人に、何しに来たか尋ねなさい。先に聞いた人勝ちだよ。聞かれた人は何しに来たか、何のために来たか、ちゃんと説明しなさい」と指示を出す。
学期のはじめ、授業で冒頭にこんなやり取りをして始めるときがある。この導入には様々なねらいがあるが、なかでも学生たちが、これから受ける授業に対して自分なりの学習目標を意識するのを促すねらいが大きい。
目標のないところに有意義な学習は発生しない。勉強に限らず仕事全般に言えることだが、目標は明確かつ具体的な方が、その達成に向かう取り組みは向上する。更に言えば、その目標が自分にとっても社会にとっても有益であるほど、その取り組みに熱が入る。
これから自分たちが何を学ぶのか、どこまで学ぶのか、そして何のために学ぶのか、といった見通しを持たないまま、漠然と授業を受けているのは私の授業に来る学生ばかりではない。むしろ小学校から大学まで、学校というところで行われる学びの実態ではなかろうか。
子どもたちに主体的に学ぶ姿勢を身につけてほしいと親も教師も願いながら、実際には学校時代を通じて、自分が何を為そうとしているのか、そして何のためにそれを為そうとしているのかが不明瞭な状態に子どもたちを長く留めてきたのではなかろうか。
「ぼくは掛け算が上手になりたい、だからきょうは二桁の掛け算を勉強にきました」とか、「私は前の時間から光合成について勉強しているの。だから今日の目標は、その仕組みについてお友だちに説明できるようになることです」といった具合に自らの目標を明確に述べられる子どもは、その授業や課題に主体的に臨んでいるにちがいない。
日本では十数年前から「関心・意欲・態度」という観点から子どもの授業への取り組みを評価してきた。けれど、私が教えている学生たちに尋ねても、彼らの学校生活で「何のために、何を学ぶつもりなのか」という目標の意識化を促してもらった経験は少ないようだ。
教師の指示に付き合って受動的に机に向かう限りは、たとえそれが楽しい授業であっても、主体的な学びとして胸を張るわけにはいくまい。学ぼうとする意志をもって学んでいけるように励ますことで、子どもたちは自らの学びを取り戻していく。
(創価大学教授)
せきた・かずひこ 1960年、東京都生まれ。創価大学文学部卒。ウィスコンシン大学大学院修士課程を経て、イリノイ大学大学院で博士号取得。現在、創価大学教育学部教授。同大学教育・学習活動支援センター副センター長。日本協同教育学会副会長。著書に『ソフト・パワー時代の学校教育』、訳書に『学生参加型の大学授業』など。