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【2】(2006年7月4日付)
有能感、仲間への信頼感を育成 |
コミュニケーション不全の時代といわれ、学校においても子どもたちのコミュニケーション能力の育成は大きな課題となっている。けれど人は、何のためにコミュニケーションするのだろうか。目的を不問にして能力開発だけを強調しても、その成果は期待できまい。
私は、人間は協同するためにコミュニケーション能力を伸ばしてきたと考える。言語は、相手の考えを知り、自分の考えを伝え、一緒に考えたり行動したりするための道具である。より良い協同を実現するために、より良いコミュニケーションが必要なのであり、協力して仕事をするためにコミュニケーション能力を磨く、という視点が重要だと考える。
広辞苑には、協同とは「ともに心と力をあわせ、助けあって仕事をすること」と説明されている。「仕事」という言葉を「生きるために(あるいは成長するために)為すべきこと」と広く捉えれば、幼子にとって、遊ぶこともまた生きるために為すこと、すなわち仕事である。やがて就学すれば、学ぶことが仕事となり、就職すれば働くことが仕事となる。そして私たちは、その仕事を仲間と共に力をあわせ、助けあって成し遂げたいと願っている。
人間には生まれながらに協同への欲求があり、協同するための能力を潜在的に持っている。ただし、その能力は、成長する過程で周囲と交わす無数の協同を、豊かに体験することで磨かれていく。どんな才能も訓練しなければ伸びはしない。
であるならば、学校における学び(学習活動)の中で子どもたちの「生きるために為すべきことを助けあう」欲求を充たし、「生きるために為すべきことを助けあう」能力を磨くことは、学校教育の大切な目標だと私は考える。協同は教えねばならない、というのが協同教育の立場である。
具体的には、授業において子ども同士が教えあい、助けあうことを許すことである。良く生きるためには賢くならねばならない。「賢くなりたい」という子どもの願いに、「賢くしたい」という教師の思いが共鳴して授業は作られていく。この教師と子どもたちとの協同の上に、「賢くなりたい」という願いを共有する者同士が力を合わせることを今以上に奨励するのである。
一緒に問題を解き、一緒に答えを確かめるのもいいだろう。互いの理解を確かめるために質問しあい、互いの説明を点検し合うのもいいだろう。子ども同士が協同して学ぶ仕方は多様であり、可能性は無限である。
協同を教える努力の見返りは大きい。人は協同して何事かを為すとき、求める結果以上に多くの恩恵を受けることができる。為すべき課題の達成に貢献できた自らの力を誇らしく思い(有能感)、成し遂げることのできた自らを認め(自己肯定)、助けあうことで課題達成を可能にした仲間への信頼感や親密さを深め、頼れる仲間と共に在るという安心感や仲間集団への帰属感を高める。これらは協同の成果として多くの心理学研究が認めているものである。
協同教育の視点に立ってもう一度述べよう。協同とは、仲間と心を一つにして(すなわち、目標やビジョンを共有し)、目標達成に必要な活動を分かち合い、その結果の責任を担い合い、互いの成長や幸福を目指すことである。そして私たち人間は、本然的に協同することを欲し、そのための能力も備えている。ただし、協同を実らせる能力は磨かねばならず、学校においては意図して教えるべきものである。
(創価大学教授)
せきた・かずひこ 1960年、東京都生まれ。創価大学文学部卒。ウィスコンシン大学大学院修士課程を経て、イリノイ大学大学院で博士号取得。現在、創価大学教育学部教授。同大学教育・学習活動支援センター副センター長。日本協同教育学会副会長。著書に『ソフト・パワー時代の学校教育』、訳書に『学生参加型の大学授業』など。