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学ぶことは生きること――協同学習への誘い

【1】(2006年6月6日付)


「大学全入」時代の学校教育
K−16(6・3・3・4制度の最高学年)


 K―1といえば立ち技格闘技大会。ではK―12といえば……、アメリカで幼稚園から高校3年まで、すなわち初等・中等教育を示す略語。ちなみにKはキンダーガーテン、12は12年生(6・3・3制度の最高学年)を表している。では、K―16とは? 学校教育の範疇に大学を組み入れて考える場合のアメリカ流の表現として、最近使われ出している。大学の学校化を象徴する言葉である。

 大学を高校までの学校教育の延長として、16年生(6・3・3・4制度の最高学年)までをセットにして考えるとき、もはや大学の高等教育機関としての位置づけは崩れていく。大学は高校までとは違い、本当に勉強したい人が行くところ、という建前自体が過去のものになっている。

 高卒と大卒の求人率の差は明らかであり、収入もまた開きがある。とくべつ勉強したいことがあるわけではないが、大学にいかないと不利だし、とりあえず入学できる大学があるなら進学しておこう、という学生は少なくない。短大から4年制大学に改組したある大学の英文科で教える知人は、英文科にくる学生ほど英語ができないと嘆いている。

 理由を尋ねると、大学としては定員割れ対策として指定校推薦枠をたくさん用意しているが、文学系の専攻は不人気のためになかなか学生が集まらない。そんな足元をみて指定校になった高校は、大学進学者数が増えればその高校の評価も上がるから、生徒本人の英語力など二の次にして、間違いなく入学できる英文学科に推薦してくる。

 結果として、少数の英語好きな学生と大多数の英語の苦手な学生とが机を並べて英文学の講義を聴くことになる、というのである。英文学に興味のない学生相手に、まず教員は英文学を学ぶ気にさせねばならないのである。

 分数の出来ない大学生が有名大学にもいるということで、学力低下論争がマスコミの注目を集めたが、国語力の低下はそれ以上に深刻な事態を招く。大学全入時代を迎え、かなりの私立大学で中学生程度の国語力しかない学生が入学してきている。

 教員の話は日本語なので聞いて分かる気になっていても、実際は語彙力が不足していて、授業内容があいまいにしかつかめない。試験前に慌てて教科書を読んでも、少し抽象度の高い言葉は意味が分からない。数学や国語について、中学や高校の復習から始める授業が大学の単位になる時代である。

 こうした現実に対して、ここ数年、文部科学省は大学の振り分けに熱心である。各大学が独自の教育理念(というより経営理念といった方が実態に合っているかもしれないが)に基づいて、特色ある大学教育を進めるべきだというのである。

 要するに、高校の延長として高校13年生から16年生までを教育する大学と、学力の高い学生を集めて高等教育にふさわしい授業をする大学、専門学校と競うかのように職業教育に力を入れる大学などなど、分相応に棲み分けをしなさいということである。

 K―16の時代にあって、学校教育の最終段階である大学における教育を考えてみることは、幼稚園から小学校そして中学・高校と積み上げてきた日本の教育課題を改めて問い直すことにも通じよう。

 私は日ごろ小学校や中学校の教員を志望する学生を相手に授業をしている。その中で、10年近く「協同教育」という教育方法を実践的に考えてきた。この連載では、大学も含めて学校における学びについて、協同教育という視点から論じていく。教育基本法の改正が話題になり、新しい学習指導要領の策定が進む時期に、学校教育について考えるきっかけのひとつになれば幸いである。

 (創価大学教授)

 せきた・かずひこ 1960年、東京都生まれ。創価大学文学部卒。ウィスコンシン大学大学院修士課程を経て、イリノイ大学大学院で博士号取得。現在、創価大学教育学部教授。同大学教育・学習活動支援センター副センター長。日本協同教育学会副会長。著書に『ソフト・パワー時代の学校教育』、訳書に『学生参加型の大学授業』など。