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地球Web

日本マスコミ検証−国際人権法の視座から

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無罪判決のネパール人勾留と報道
近代刑事司法の原則に背く措置に“理解”

(2000年8月15日付)


 一九九七年に東京・渋谷で電力会社の女性社員が殺された事件で、強盗殺人罪に問 われていたネパール国籍の被告人、ゴビンダ・プラサド・マイナリ氏の控訴審が、こ の八月十八日から開始される。

▼渋谷の女性会社員殺害事件の被疑者

 ある国の人権保障や民主主義の成熟度は、マイノリティ(社会的少数者)と刑事手 続きを見ればわかるというのが国際社会の常識だ。

 人種・民族的マイノリティでオーバーステイのマイナリ氏の状況は、日本の人権保 障や民主主義の度合いを浮き彫りにする。つまり裁判所や検察自ら、憲法・国際人権 規約・人種差別撤廃条約・刑事訴訟法に違反した事実をである。具体的には、恣意 (しい)的抑留を容認して法の下の平等と適正手続きを否定し、公正な裁判を受ける 権利を侵害している。

 四月中旬、東京地裁はマイナリ氏に対して無罪判決を下した。氏は別途オーバース テイの有罪判決を受けていたため、直ちに東京入国管理局(以下、入管)へ送られ た。通例からして一週間以内には退去強制されたはずだった。

 それが再び東京拘置所に戻されたのは、東京高検が三度にわたって要求した職権勾 留(こうりゅう)を、五月八日に東京高裁が認めたためである。弁護団は取り消しを 求める特別抗告を最高裁に行なったが六月末に棄却された。

 東京高検の主張の核心は(1)被告人が国外にいると控訴審に支障が生じる(2) 三審制が形骸化する(3)将来有罪判決が出たときに刑の執行が確保できない。いず れも法的に不当であり、実務から見れば詭弁(きべん)もある。

 各紙はいちおうの疑義を呈したものの、不当性や詭弁性に対する詰めは甘く、むし ろ検察に同調するような叙述が散見された。例によって、オーバーステイの外国人が 置かれた状況への無知もさらけ出した。

▼予防拘禁と変わらないではないか

 勾留を認めうる場合を定めた刑訴法六○条に照らせば、(1)〜(3)はどれも当 たらない。同法は控訴審への出廷も義務づけていない。

 また、行政手続き(入管手続き)と刑事手続きが相克する例は、これまで枚挙に暇 がないほどあった。だが、比較的突っ込んだ朝日新聞(五月二十六日)にしても「最 近十年ほど、専門家や実務家の間では、出入国管理法の行政処分と刑事訴訟法の手続 きを調整する機能がないために外国人の人権が侵害されている、と指摘する声が強ま っていた」にとどまっている。

 実際には、刑事手続きより入管手続きが優先されるぐらいだが、それでいて検察が (1)や(2)を口にしたためしなど、まずないのだ。オーバーステイの被告人が、 別件の執行猶予つき有罪判決に控訴を望んでも、退去強制されるのが常態だった。

 弁護人によれば、通訳が確保できなかったので退去強制が長引いたと言われたとい う。一見まともだが、入管が通訳に配慮するなど普通は考えられない実態を認識して いれば、検察への「協力」の疑いが余計に増す。五月九日の毎日新聞はわずかに質 (ただ)したらしいが、「審査に特段時間をかけたわけではない」という入管の反論 のみではその恣意性をむしろ隠蔽(いんぺい)してしまう。

 (3)については、ルポ『東電OL殺人事件』(新潮社)の著者・佐野眞一氏が 「予防拘禁と何ら変わらないではないか」(朝日新聞夕刊八月一日)と書くとおりで ある。しかし各紙の反応はおそろしく鈍い。「二審で逆転有罪になったとき、被告が 国内にいなければ刑の執行ができないという懸念もわかる」(朝日新聞六月三十日社 説)など、推定無罪や恣意的抑留の禁止といった近代刑事司法の大原則に背く検察 に、総じて“理解”を示している。

 反面、国際人権規約や人種差別撤廃条約を意識した記述は全くない。国際法は批准 によって国内法化し、法律(ここでいえば刑訴法)より上位に置かれる。それだけ重 い遵守義務が課されるのだ。国連は来春、人種差別撤廃条約に基づく日本政府の報告 書を審査する予定だが、今回の措置は必ず問題にされるだろう。同時に、一定の“理 解”を示した報道の責任も、問われることになるだろう。(ジャーナリスト)