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(2002年3月12日付)
小泉内閣による構造改革は、外国のメディアからも注視されている。タイム誌(2月18日号)はほろりと涙を流す芸者を表紙に描き「すすり泣く日本」を特集している。
株式市場は死んだも同然、財政は麻痺し、企業は倒産、首相はたじろぎトンネルの向こうにも暗闇しか見えず「日はもう昇らない」というのだ。
小泉改革はかけ声ばかりで実態は空洞化しているという評価は国内にもあるが、これまで確保してきた空前の支持率が低下するに及んで、いよいよその成否が問われる段階に入った。
最悪のシナリオは、みせかけだけの改革によって聖域は温存され「官僚・族議員複合体」が無傷で持続する姿である。浮上した「鈴木宗男問題」はその行方を占う試金石といえよう。
各紙社説は毎日が2月22日付で「『変なこと』を徹底究明せよ」と書いたのを皮切りに、日経が翌23日付で「鈴木宗男氏の疑惑を徹底解明せよ」と続き、24日付の朝日「すべてを白日にさらせ」、読売「“鈴木疑惑”の徹底解明を急げ」と追随、期せずして「徹底オンパレード」になった。
この問題は、田中真紀子前外相をめぐる「言った」「言わない」がきっかけになってあぶりだされた族議員と官僚の不透明な関係である。衆院予算委などで明るみに出された疑惑は国後島宿泊施設入札介入問題、外務省人事介入問題、ケニアODA問題、在京コンゴ大使館問題、私設秘書問題など枚挙にいとまがない。
族議員と官僚の「持ちつ持たれつ」の関係は、改めていうまでもなく鈴木宗男氏と外務省だけの問題ではない。構造改革を必要とする原点ともいえ、これに比べれば「言った」「言わない」は次元の低い問題だ。かくして、メディアの怒涛のような「鈴木宗男バッシング」が始まった。
しかし、各紙社説を子細に点検すると、微妙な温度差があることがわかる。 読売は「今国会の最重要課題は、新年度予算案を遅滞なく成立させ、デフレ克服の道筋をつけることだ。党利党略で審議を遅らせてはならない。予算審議と疑惑解明は切り離して行うべきだ」と注文をつけている。
前日付の日経が「充実した予算審議と並行して、国会は真相の徹底究明をさらに進めてもらいたい」と、国会での究明もおろそかにすべきではないと主張したのを受けたものであろう。
つねに景気対策の優先を主張する経済専門紙の日経と一般紙である読売の主張が逆転している形だが、読売も見出しは「徹底解明」をうたっているのだから、その矛盾に気づくべきだろう。
日経2月25日付朝刊2面「風見鶏」欄の解説雑報も評価したい。そもそも日本では政治家と官僚の役割分担がはっきりしていない。政治家は政策の企画立案を官僚に丸投げし、票とカネになる入札、許認可などの細かい執行業務に口出しする。官僚は政策の企画立案の主導権を維持し、それを円滑に進めるため、政治家の執行業務への口出しをむしろ迎え入れてきた面があるという指摘は、まさにその通りだ。
衆院予算委では、このほか日本道路公団が昨年末、高速道路工事13件の発注見送りをいったん決めたにもかかわらず、青木幹雄参院自民党幹事長の圧力で撤回された疑惑も取り上げられた。
民主党はこの問題で同氏をあっせん利得処罰法違反で告発するという記事を、各紙とも2月15日付朝刊で載せているが、判で押したように地味な扱いだったのは腑に落ちない。
(立命館大学教授)