【Seikyo Media Page】Copyright (C) 1997-2002 by The Seikyo Shimbun.



米国ジャーナリズム時評

【1】


テロ防止か自由か監視強化をめぐり論議

(2002年7月9日付)

 5月30日、米司法庁は対テロ対策の一環として、連邦捜査局(FBI)のインターネットや図書館、宗教、政治団体の集会などの監視活動への規制を緩和することを発表した。

 テロの事前情報を見逃したと内部告発を受けるなど苦しい立場に追い込まれながらも、事前情報の存在を一貫して否定してきたFBIのムラー長官だが、規制緩和発表の数日前に一転してミスを認め謝罪した直後のことだった。非を認める発言の裏には、FBIの捜査権限強化のもくろみがあったのかと納得させられた。

 規制緩和後は具体的な犯罪の嫌疑がなくとも政治、宗教団体などに対する監視活動が行えることになる。米メディアでは治安を守るためにいたしかたないとする消極的容認派(ニューヨーク・タイムズ紙N・クリストフ記者など)と、人権侵害につながるとする反対派(ニューヨーク・タイムズ紙W・サファイア記者、ワシントン・ポスト紙社説など)の双方が論議を繰り広げている。

 要は政府が節度をもって規制緩和を活用するのが望ましいのだが、節度ある運用を政府の判断に任せるのが危険なことは過去の例からみても自明であろう。

 「自由」ことに市民の自由はアメリカ社会の聖域である。しかし昨年の同時多発テロ以降、テロを未然に防ぐためには諜報機関が市民の生活を監視するような事態も場合によってはやむをえないと考える市民が増えている。

 アメリカが自由とテロ防止をいかに両立させていくのか、日本のみならず世界の民主主義国が注目するところである。テロ防止に名を借りて、最もアメリカ的なものを失う結果に陥ることだけは避けねばならない。

 (椎名亜由子・在米ジャーナリスト)