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成長する人と組織――人的資源の可能性
栗山直樹

(2005年10月4日付)


自己実現を解き放つ
他者の成功喜ぶ健康的な集団へ


 自己実現をしている人は誰なのか。これは非常に難しい質問である。正解はないだろうが、考える手がかりを提供したい。外見だけでは説明できないので、内面の叙述を伴った小説などの登場人物が適当であろうか。そう考えると、太宰治の『走れメロス』の姿が浮かんだ。

 メロスは友との約束を守るため、名誉を守るために走った。しかし、度重なる困難に力尽き、一歩も動けなくなる。諦めの気持ちも出てきた。

 メロスは大地から湧き出る泉の水を飲み、再び走り始める。今度は何か違う。血を吐きながら、自分の限界を超えても走った。約束、名誉を超えた、何かもっと大きなもののため、すべてをかけて走った。

 メロスは、遂に約束を果たす。その姿は、そばで見ていた悪王をも改心させ、メロスも友も解き放たれた。

     ◆

 「自己実現」とは、人間主義心理学を説いたA・H・マズロー(1908〜70年)が作った言葉である。マズローは、自己実現欲求を、誰もが本然的に有している高次の欲求であるとする。これは、他の欲求と異なり、決して外からは動機づけることのできない内発的な欲求である。自分が持っている資源を最大限に発揮して、自分らしくありたい、自分の本領を発揮したい、そしてもっと大きなものに向かって成長したいという欲求である。

 外から動機づけられていたメロスは、泉の水を飲んで変わった。太宰の真意は知らないが、これは自らの胸中からこんこんと湧き出ずる泉を示唆しているように思える。いずれにせよ、自己実現は人の内発的な無限の力と成長を示す概念である。

 『マズロー・オン・マネジメント』(邦訳『完全なる経営』日本経済新聞社)という著作が1998年に米国で復刊され、ビジネス界をはじめとして大きな反響を広げた。これは、もともとマズローが62年に『健康心理学的マネジメント』と題して発刊されたものであるが、リーダーシップ論の権威であるウォーレン・ベニスなどの協力により現代的に編集されて再び世に問われたものである。

 マズローは、自己実現は創造性の源泉であると考えていた。創造性も自己実現も外から強制することはできない。もともと組織の構成員に備わっているものだから、むしろ組織が創造性の発揮を邪魔しないようにすべきだと論じている。さらに、組織が人の自己実現欲求を解き放ち、創造性をはぐくんでいくことが大事だと論じる。

 人を働かせようとするのではなく、自己実現を支えながら、喜んで事業に参加して、かかわってもらえるコミットメントをいかに高めるか。そのための人間の解放、精神の民主化の必要性を説く。これは企業経営の現代的課題である。

 マズローは自己実現と創造性の発揮のために、自信をもつことの重要性を指摘する。それは自身の中にある無限の可能性の自覚と確信から始まる。自己実現しようとする人は、どんな変化にも自信をもって対処できるという。

 反対に、自信のない人や組織は、慣例化を過度に行い、すべて順調に予期したとおりに進む手立てをはかろうとする。あるいは自分の立場が脅威にさらされないようにと差別化する。組織が慣例や儀式でメンバーを束縛し、階層化して身分の安定を求めるのは、自信がないことの裏返しといえる。その組織に創造性はない。

 マズローは当初、精神的機能不全にかかった人々を治療していくことに関心があった。後に、健康的なマネジメントを実現していくことは、影響を与える人の規模がはるかに大きいとして、心理学の組織への応用、特に企業の経営に大きな関心を寄せた。

 その際、自己実現の欲求は本能によらないので非常に移ろいやすいものととらえた。そのため、個人の自己実現を可能にするには、他人の自己実現を喜んであげられる健康的な組織が必要だと考えた。また、そのような組織には、健康的な社会が必要であり、その実現はすべての人を巻き込んだゆっくりとした革命になると論じた。

 組織の構成員が、やきもちを焼かず、他の人の自己実現を喜ぶことができてこそ、創造性に満ちあふれた組織ができる。メロスは幸せであった。メロスの自己実現の姿を、悪王でさえ喜び、解き放ってくれたのだから。

 (創価大学教授)

 くりやま・なおき 1960年、大阪市生まれ。創価大学大学院博士後期課程修了。ILO(国際労働機関)本部勤務、日本ILO協会月刊誌「世界の労働」編集長、ジュネーブ大学現代アジア研究所客員教授、ILO国際労働問題研究所訪問研究員を経て、創価大学経営学部教授。著書に『グローバリゼーションと「労働」に関する研究』など。