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メディア月評

連載コラム
「放送メディア月評」 ワイド版
創価大学教授・田村穣生

【10】



イラク発2つの映像―戦争報道の難しさ


(2004年4月13日付)


邦人誘拐事件、米国人殺害事件に思う

庶民感情と国策の是非が錯綜



NYタイムズは衝撃的な写真掲載

 戦争報道はむずかしい。

 状況が時々刻々変化する。変化の程度も一様ではなく、あるとき突然激変することがある。そしてその変化の意味がわかることもあれば、背景や見通しも分からないままに入手した情報を伝えるしか方法がない場合もある。

 あるいは情報を入手しても、報道してよいかどうか判断に苦しむこともあるだろう。それはとくに人間の尊厳にかかわる出来事や残酷な映像を撮った場合などに直面するジレンマである。ここ1、2週間のイラク戦争の状況は、そのような問題がいくつも発生した。そのうちの2点について書いてみたい。

 一つは残酷な映像の問題である。

 戦争では残酷な映像は数多くあり、その扱い方は微妙な問題をはらむ。3月31日、バグダッド西方でアメリカ人の民間人4人が殺害され、周辺住民がその死体を損傷したうえ、鉄橋に吊るすという事件があった。そして、この映像がアメリカで流されてアメリカ人に衝撃を与えた。

 しかしアメリカのメディアの報じ方は一様ではなく、第1面で鉄橋に吊るされた遺体の写真を掲載したニューヨーク・タイムズ紙から、遺体にボカシをかけたABCテレビ、そして遺体の映像は出さなかったFOXテレビまでさまざまであった。

 この報道の影響は二つの異なった側面をもっている。

 第1は政治的側面である。この事件を知ったとき、多くの人はすぐに93年のソマリア事件を思い出したはずである。これは内戦が続く東アフリカのソマリアにPKO部隊として派遣されていたアメリカ軍ヘリが撃墜され、乗員と救出部隊の18人が殺害された事件である。

 この死体を現地住民が激しく損傷するもようが映像で報じられるとアメリカ国民は衝撃を受け、議会も即時撤退を要求したため、当時のクリントン政権は、94年にアメリカ軍を撤退させた。

ソマリア事件の記憶を呼び覚ます

 これ以後、アメリカ政府は軍の犠牲が出ないような形の運用につとめるようになった。その軍事力運用スタイルは、軍事技術開発に大きな影響をもたらし、後のアフガン戦争や今回のイラク戦争にも反映している。

 アメリカ人の間にこのソマリア事件の記憶がまだ残っているうえに、イラク戦争と戦後統治に対する懐疑が高まりつつある今、この事件の影響はかなり強いと考えられる。

 この戦争に批判的なニューヨーク・タイムズ紙が「ニュースを避けることはできない。遺体の尊厳を傷つけ、民衆が歓喜する様子が重要だ」として残虐映像を1面に出したのに対して、ほとんど米軍と一体といわれたFOXテレビが「この映像は刺激的すぎる」という理由で遺体の映像を出さなかった。

 こうした扱い方の違いの背後で何らかの政治的判断が働いたのかもしれない。あるいはそれはうがち過ぎ、邪推かもしれないが、何かすっきりしないものを感じる。

 第2の側面は、表現の自由と、人間の尊厳ないし人権の問題である。死体損傷は事実としても、そのプロセスや結果を、ことさら映像で見せる必要があるのかどうか。真実の報道、表現の自由といったジャーナリズムの価値基準は、死者の尊厳、近親者の心情、そして心ある一般市民の常識よりも上位にあるのか。

 社会においてジャーナリズムの役割はきわめて重要であり、それは表現の自由と国民の知る権利を社会全体が最大限に認めることによって可能となるものだと私も思う。しかしそれでも「“表現の自由”天動説」まで認めてよいのかどうかについては問題が残る。

 ジャーナリスト諸氏においては「“表現の自由”天動説」が有力かもしれないが、それを即座に支持することには、私は若干のためらいを感じる。

 もう一つは、情報不足で読みきれない事件を報道するむずかしさである。

衛星TV局アルジャジーラが舞台

 4月8日、日本人の民間人3人をイラクの武装グループが誘拐して、3日間の期限つきで自衛隊の撤退を要求し、応じない場合には3人を焼殺すると通告してきた。そしてその3人の映像が中東の衛星テレビ、アルジャジーラで放送され、日本でも放送されて衝撃を与えた。

 誘拐された日本人3人については、一人はフリーカメラマン、一人は恵まれない子どもたちの面倒をみるボランティア活動をしている女性、もう一人は劣化ウラン弾の被害問題と取り組んでいる18歳の若者だということがほどなく明らかとなった。

 カメラマンもボランティアの女性も明確な信念に基づく行動のようだし、高校を卒業したばかりの若者も在学中から研ぎ澄まされた問題意識をもっていたようで、いずれも単なる興味本位ではなさそうな印象である。

 しかし誘拐を実行したグループの性格や誘拐された時の状況などは、日本のメディアには全く分からなかったようだ。そのため各メディアとも、アラブ問題専門家の意見や想像を語らせるしか方法がなかった。やむをえないとはいうものの、各メディアはつらい立場だったにちがいない。

 おりしもこの時期は、6月30日のイラク人への政権移譲を目前にして、ファルージャで武装勢力に対するアメリカなどの軍隊が掃討作戦を開始し、その後、一時停戦するなど複雑な段階にある。

 小泉首相は自衛隊撤収を明確に否定したうえで「救出に全力を尽くす」という態度を表明。誘拐された3人の家族は国民一般や関係方面の協力要請のアピールを行うとともに自衛隊撤収を要請し、誘拐グループに対しては3人がイラク人のために活動していたことを訴えた。政府も日本政府や3人の人道援助活動をイラク各方面に伝えた。また一部の市民は自衛隊撤収を要求するデモを行った。

 その後、イラクの聖職者や有力部族長の働きかけもあった模様で、日本時間の11日早朝、誘拐グループは、3人がイラク人のために活動していたことや家族の悲しみを認めて、24時間以内に3人を解放すると表明し、あわせて日本国民が日本政府に対して自衛隊撤収を働きかけるよう呼びかけた。彼らの声明ではかなり多くのスペースを割いて日本のことに言及している。これらのことから背後に深い政治的な思惑が隠されているのではないかと疑う声も一部にあったというが、真偽の程はわからない。

試されるメディアと視聴者の力量

 しかし解放の正確な時間、場所、方法などは明らかにされないままに、さまざまな情報が流れたりしながら30時間あまりが経過した。

 この事件に対する考え方は、論理的には、(1)テロ対策の原則論に立てば譲歩はしない、(2)市民の生命尊重を最優先に考えれば自衛隊撤収、(3)北東アジアにおける日本の安全保障と対アメリカ外交を重視すれば自衛隊撤収はできない、(4)しかし早期に3人を救出できれば誘拐事件との関係で自衛隊をどうするかという問題はひとまず消える――というはっきりした色分けになる。

 どれをとっても激しい賛否両論が巻き起こることは必至である。したがってどのような結論になってもメディアは政府を批判できるし、ことの起こりのアメリカ批判も改めて強まるだろう。

 それとともに政府のこの問題の取り扱い方が、メディア特にテレビの扱い方とは違っていることがはっきりしてきた。テレビでは人質解放の成り行き推移を伝える一方、家族の訴えもかなり扱っているが、政府はこの問題の高度の政治的性格を重く見ているようだ。

 戦後日本の政治的決定は、未来を含めた歴史的、世界的パースペクティブ(展望)に立つ冷徹な決定と、庶民感情に沿った決定がズレた場合には、庶民感情に合わせることのほうが多かったが、今回は違う。

 小泉首相が表面に立って陣頭指揮をしていないし、被害者家族との面会もしていない。それは、この状況で国政の最高決定権者が言葉を発すればそれが日本国の最終的な意思表示になってしまい、それがさらに別の問題を引き起こす可能性があり、そのことを避けているのだろう。政治責任を負う者はそうした行動をとらざるをえない場合もある。

 それゆえこのようなむずかしい状況とむずかしい問題をどのように報道するか、メディアの力量も試されている。そして読者もまた、自己の価値判断と論理的思考をみずから問い直す機会になるにちがいない。

 <4月12日午後5時記>(創価大学教授)


 たむら・みのる 1939年、高知県生まれ。東京大学文学部卒業。64年NHK入局、放送文化研究所主任研究員を経て92年より現職。早稲田大学非常勤講師、元日本マス・コミュニケーション学会理事・企画委員長。専門はマスコミ産業論、メディア史。編著に『メディアと情報のマトリックス』、共著に『テレビ史ハンドブック』がある。