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(2004年3月9日付)
つい先ごろのアメリカにおけるBSE(牛海綿状脳症、狂牛病)の発生に伴う、アメリカ産牛肉輸入停止措置に関して放送された日本のテレビ番組の対応は、ずいぶん偏っていた。とりあげたテーマのうち7割から8割が“牛丼”関連だったのではないか。
たしかに牛丼は日本社会において特別なポジションにある。早い、安い、うまい、という3条件を満たす「庶民の食」であった。この牛丼がアメリカ産牛肉に依存していたために、その方向からの話題が一気に拡大した。
「牛丼が消える」「さあどうする、お父さん、若者」「代替メニューは何だ」という話がテレビ画面で氾濫した。そして牛丼を褒めそやし、「牛丼は日本の文化だ」「牛丼の出来栄えはもはや芸術の域にある」とまで持ち上げた。
満更ウソでもないと思うが、急にそこまで持ち上げられると牛丼も照れ臭かっただろう。極め付きは“牛丼最後の日”狂騒曲だった。ここでもし「牛丼はフランス料理に遠く及ばない」などと批判したら、その人は非国民扱いされたにちがいない。
まさにテレビが日本人の言動を決めてしまう、考えようによっては恐ろしい暴力装置にもなりうることをあからさまに示したといえる。
その後、牛肉問題がテレビの上でのピークを越えたころに、鳥インフルエンザが発生した。ちょうど牛丼の代替メニューとして豚丼、焼き鳥丼などが登場して模索を始めた段階だったので、さすがに文化論、芸術論の域にまでは進まず、テレビの視線は、官庁活動の不備と、大量の鶏を出荷した養鶏業者に向けられている。
私はこの際、「食」の問題に総合的に取り組む企画が出てほしいと思う。
たとえば日本の食糧自給率は現在、約40%で先進国中最低だが、何年か前に私は全国農協中央会のスタッフから、国土を精一杯活用した場合、食糧自給率は「70%ぐらいまでいけるだろう」といわれたことがある。あるいは牛を穀物で飼育すると、肉1トンを生産するためには穀物4トンを消費するという数字も聞いた。将来、世界的に肉の消費が拡大すると、地球の土地と水がそれに耐えられるだろうか。
これらの問題を突き詰めてゆくと、日本では戦後改革でそのまま残っている憲法、教育基本法と並ぶ農地法に手をつけることになる。
世界的には、経済発展が地球の土地、水から環境全般の破壊につながる可能性を視野に入れなければならない。問題は「食」だけでなく、地域社会の存立、産業構造、生活様式、環境から世界経済、地球の人口、土地、水の問題などにも拡大する。いまわれわれは、牛丼やグルメ番組で浮かれていられない状況に近づいているのだ。
テレビ局には「食」や「地球」の専門家が何人かいるはずだ。彼らはこれらのことを十分承知しているだろう。問題は、そのような問題意識を「話題性がない」「視聴率が取れない」として軽視するような価値判断がテレビ局上層部に存在することである。
娯楽番組の存在意義は否定しない。しかしそれは、重要な問題と真面目に取り組む番組を放棄してよいという意味ではないのだ。(創価大学教授)
たむら・みのる 1939年、高知県生まれ。東京大学文学部卒業。64年NHK入局、放送文化研究所主任研究員を経て92年より現職。早稲田大学非常勤講師、元日本マス・コミュニケーション学会理事・企画委員長。専門はマスコミ産業論、メディア史。編著に『メディアと情報のマトリックス』、共著に『テレビ史ハンドブック』がある。