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メディア月評

連載コラム
「放送メディア月評」
創価大学教授・田村穣生

【2】



続発する子どもの事件とテレビ
若者志向を競って低年齢化させた報い

(2003年8月12日付)

 この夏、長崎市の12歳の少年による幼稚園児殺害事件、あるいは東京の小学6年生の女子児童4人が赤坂のマンションに監禁された事件などが人々を驚かせた。とくに小学6年女子児童の事件は、繁華街、ブランド商品、風俗商売、お金とつながる現代日本の欲望拡大ビジネスが、小学生までも巻き込んでいることを如実に示している。

 若者を重要な消費者とみなし始めたのは60年代半ば、ちょうど団塊世代が若者になったころであった。急成長するテレビに聴取者を奪われていたラジオ局はユース(若者)・マーケット論に飛びつき、深夜ディスクジョッキーなど若者志向を強めてひとまず成功した。「平凡パンチ」が創刊されたのもこのころである。やがてテレビも主婦最重視原則は守りつつ若者志向を強め始めた。

 しかもその後に団塊の子供たちつまり団塊ジュニアが登場することがあらかじめ分かっていたから、マスコミも各業界も若者志向を競って低年齢化させた。キャッチフレーズでいえばまず「花のOL」、次に「花の女子大生」、ついで「花の女子高生」と年齢が下がり、今は女子ローティーンの歌手グループが人気を博している。こうして日本のマスコミには「若者おだてメッセージ」が氾濫するようになった。

 昔テレビ以前の子供たちの精神生活は1に学校、2に親、3に遊び仲間、4に地域の人々であった。しかし現在では、推定だが、1にテレビ、2に友達、3にゲーム・パソコン・マンガ雑誌、4に繁華街・人気グッズ、5に学校、6に親といったところだろう。子供の問題は、このような精神生活環境の中に子供たちが生きているということを強く意識したうえで、全体的に目配りしなければならない。

 たとえ教育問題であっても教師や学校だけでは解決できないし、親にも限界がある。従来の日本のマスコミは、簡単に教師悪者論、学校悪者論で決めてかかり、みずからは無謬論ないし表現の自由不可侵論に立って免責されているかのごとく振る舞っていた。しかしもうそういう根拠なき思い上がりをやめて、青少年を食い物にする商売に対して、たとえ合法的であっても同業者であっても、問題点は厳しく追及してゆくべきである。

 自民党が昨年検討していた青少年有害社会環境対策基本法案を再構成し、2本の法案として議員立法を目指しているという。放送界はこれに反対で、「青少年の価値観の形成に国家が介入するのは問題が大きい」「順守すべき基準は大臣が定める指針に留意し、規約は大臣または知事に届けることが求められているのは、行政の介入である」と批判している。

 しかし価値観形成についていえば、国家の介入は当然排除すべきだが、そのかわりテレビの価値観が青少年を支配するようになってしまうのもゾッとしないというのが、偽らざる気持ちである。有名人や芸能人に接近できれば最大の名誉であり、親類に芸能人がいれば特権階級のごとく尊敬され、人気と人を笑わせることが何よりも大切なものと信じ、テレビに顔が映るためには何でもする、という価値基準はすでに半ば確立しているように見える。現在の日本のテレビ界は、それ以外にどのような価値観を教えてくれるのだろうか。


 たむら・みのる 1939年、高知県生まれ。東京大学文学部卒業。64年NHK入局、放送文化研究所主任研究員を経て92年より現職。早稲田大学非常勤講師、元日本マス・コミュニケーション学会理事・企画委員長。専門はマスコミ産業論、メディア史。編著に『メディアと情報のマトリックス』、共著に『テレビ史ハンドブック』がある。