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メディア月評

連載コラム
「放送メディア月評」
創価大学教授・田村穣生

【1】



1日、BPO(放送倫理・番組向上機構)発足
NHKと民放が共同で設置した自主規制機関

(2003年7月8日付)

文化的な観点から見て重要な試み

 この欄の執筆を受け持つことになった。私は社会に出たときから放送局の調査研究部門で仕事をし、その後、大学に移ってからも放送やマスコミのことを教えながら過ごしてきた。

 しかし今になっても、放送とはむずかしいものだと改めて思う。それでも微力を尽くして、日本の放送についての自分なりの見方や意見をこの欄で書かせていただくつもりである。

 放送を語る際の視点はいろいろあるが、この欄では番組の紹介や批評にとどまらないで、堅苦しくなるかもしれないが日本の思想や文化に関係するような側面にも思いをめぐらせてみたいと考えている。

 そして、ちょうどそのような文化的な観点から見て重要な試みがスタートした。この7月1日に、NHKと民放が共同で「放送倫理・番組向上機構」(放送倫理機構、BPO)を発足させたのである。

 BPOはそれまであった番組の向上をはかる団体や放送倫理・人権の救済に当たる団体を統合したもので、内部に「放送番組委員会」「放送と人権等権利に関する委員会」「放送と青少年に関する委員会」の三つの委員会がある。

批判を真摯に受け止める姿勢必要

 そして、放送に対する視聴者からの意見や苦情の受け付け窓口を一本化して、意見の内容によって各委員会に報告するほか、番組への意見などは該当する放送局に連絡することになっている。とくに番組への苦情が放送倫理に関するものであった場合には放送局はそれに対する取り組み状況を3カ月以内に委員会に報告しなければならない。

 BPOは放送界が視聴者との信頼関係を強めることによって言論・表現の自由を守ろうという考え方に基づいて設置されたのである。このようにメディア界がみずから自主規制機関を設置するのは世界的にも珍しいという。

 このような自主規制機関を設置せざるをえなかったということは、それだけ放送を規制しようとする外部の圧力が強かったということであり、同時に放送の側にも問題があったということも示している。

 たしかに一部の政治家や青少年健全育成推進者たちが少々納得のいきかねる論理で規制強化を唱えた例もあったけれども、それなりに説得力のある指摘もいくつかあった。

 しかし、放送界はそれらをほとんどすべて頭から「言論弾圧だ」「PTA的反応だ」などときめつけて、十把一からげに悪者扱いしてしまったような観がある。もう少し謙虚に、そのような批判を受けるようになった理由について真摯に考えてみる姿勢があってもよかったのではないかと思う。

「表現の自由」濫用には市民も反発

 一般市民の多くは言論・表現の自由の大切さは知っているけれども、人権軽視報道への批判に対して「言論の自由」と「民主主義」を持ち出し一蹴し、下品きわまりないふざけ番組がヤリ玉にあがると、その言いわけに「表現の自由」を振り回して身をかわそうとするような放送局側の態度に対して、「卑怯」とか「傲慢」など、かなり違和感を抱いた人もいる。

 放送界は、視聴者の一定の部分を敵に回してしまったように見える。もちろん言論の自由、表現の自由は大切である。だからこそ放送局側はBPOが働かなくてもよいような番組作りを目指さなければならない。それが理想のはずだ。

 そうすると問題は「現場」である。民放連の機関誌「月刊民放」2003年7月号にBPOの特集があり、その中で、BPOの前身の団体で仕事をした複数の有識者が、いろいろな提言をしても「現場」にはこれに耳を傾ける姿勢がないことを嘆いている。

 これに対して放送局経営幹部は対策をとらなければなるまい。「現場のことには口を出さない」というのは、一見、現場尊重のようでもあるが、今は、それでは文化事業の経営者として無責任だ、といわれても仕方がない状況になっているのではないか。


 たむら・みのる 1939年、高知県生まれ。東京大学文学部卒業。64年NHK入局、放送文化研究所主任研究員を経て92年より現職。早稲田大学非常勤講師、元日本マス・コミュニケーション学会理事・企画委員長。専門はマスコミ産業論、メディア史。編著に『メディアと情報のマトリックス』、共著に『テレビ史ハンドブック』がある。