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(2003年5月13日付)
5月3日の朝日新聞朝刊(東京本社版)に、同新聞の調査によれば、11府県の公立小学校172校が、小学6年生の社会科の通知表で、児童の「国」や「日本」を愛する心情を評価していたと報道された。
これは、昨年度からの新学習指導要領に「国を愛する心情」の育成が教科目標に加わった影響とし、今後は、教育基本法の改変で愛国心に法的な根拠が与えられると伝えている。
1990年代以降、グローバリゼーションにより、世界のあり方が構造的に変化し、国家の主権が危機にさらされている。全世界で、特に「先進国」を中心に、国民国家の維持を目的にした大衆扇情的な「ナショナリズム」が広がっている。
ナショナリストたちは、ナショナリズムが社会的協調や秩序の「善」を保つと、道徳を強く訴え、国民国家が現在の不道徳な社会を統治するには、国民が愛国的でなければならないと言う。日本では、日本人は国家への愛国心・国民道徳・「日本人」の心を取り戻さなければならないとしている。
こうしたナショナリズムが新教育基本法成立への動きと結びつく。しかも「国を愛する」という情緒的な言葉を使うことで、異論を訴え難くしている。
日本では、日本人であるということは、戸籍にその根拠を置く血統主義的な属性とされる。今でも、「国民=民族」という定義が広く信じられ、日本国民=日本民族である。しかし、学校には、この日本人の定義に該当しない子供たちも多くいる。
教育基本法案や指導要領においては、誰が「日本人」なのかが十分に検討されていない。例えば、在日朝鮮・韓国人や南米からの日系移民はどうなのか。99年、国税庁の広報に登場したラモス瑠偉は日本国籍だが、血統的には日本人ではないから、どうなのか。広告では、自分のように善良な日本国民はその義務である税金を期限内に全納するようにと呼びかけていた。
外見上、異質な人間は日本への忠誠心を表せということか。実に、誰が「日本人」であるかという境界線があいまいであり、異質な人々に、日本人への同化を強いることになる。
さらに、国を愛するがために、国家の政策に反対する場合はどうか。戦時中、挙国一致体制に協力しなければ、「非国民」と呼ばれた。この場合は、国籍・血統上は日本人であっても、「日本人」ではないのか。この文脈からすれば、「愛国心」を持つ人(持っているように見せる人)が、「日本人」ということになる。
社会不安等の問題の解決には、社会的要因やグローバルな構造に論点を置いて、考えていくべきであり、奉仕や愛国心を教えることでは、それは果たせない。
学校では、生徒たちが、現代社会の変化に対処していく方法、新しい社会のあり方を創造していく力を与えるべきではないか。必要なのは、異なった視点、批判的論争を行う言語力と思考力である。心の内面を評価していては、異見を創造しにくい人間を作ってしまう。
しかも、こうした評価には、評価者自身の価値判断が含まれることになるので、極めて恣意的なものである。そして、評価する人よりも人格的に優れた人間を育てる芽を摘んでしまいがちだ。
今回、一新聞社が独自に、全国的規模で、愛国心に関する成績評価の調査をしたことが、私たちに、改めて、問題の深さを考えさせることになった。
さらに、メディアには、政治家・研究者等とともに、約200年間続いたナショナリズムに代わる、問題の解決に有用な新しい思想を模索してほしい。(慶応大学非常勤講師)