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報道分析:社会人類学の視座

原麻里子

【1】


大学教育問題の報じられ方
取材対象の見方を超えた特集記事を

(2003年1月14日付)


 元日から朝日新聞(東京本社版)に掲載された大学教育の報道を検討してみる。

 産学協同、地元への貢献、学生の学力の低下とそれに取り組む教員たちの新しい試み、企業の求める大学教育、諸外国の例等が伝えられ、12日の朝刊では、遠山文部科学相のインタビュー、そして、酒田短大倒産のニュース。

 シリーズ化された特集記事は、文科省と大学・教員たちという取材対象の視点から書かれており、社会やアカデミアの抱える構造的問題に触れていない。

 私が留学した英国では、大学卒業時の成績は、大学構内に掲示、印刷物として販売、就職活動の際には、履歴書に書かねばならず、一生ついて回る。大学間で調整が行われているので、理論上は、どの大学を卒業しても、ファースト(優等)はファーストとされる。実際には、一流大学ほど、同じ成績でも、学力のレベルは高いそうだ。

 ちなみに、ケンブリッジ大学では、ファーストを取得する学生は、社会人類学科では、約1割の2〜3人、コンピューター科学では約3分の1。いずれにせよ、大学院への進学のみならず、転職を何回もする英国人にとっては、好い成績を取ることは重要だ。

 また、新聞紙上などに、著名人の大学卒業時の成績が大学名とともに掲載されることがある。それを見ると、社会的に成功している人には、一流大学を好成績で卒業した人が多い。日本では、就職試験の際に、企業側が大学の成績を見なくなったことから、学生たちが勉強をしなくなったとも聞く。これは、日本の大学の教育システムによる成績と入社後の成長に関連性が見られないということでもあろう。

 ケンブリッジ大学の授業時間は1時間。学期も8週間が2回で、最後は4週間。授業が行われるのは全部で年間20週しかない。しかし、文科系の学生は最初の2学期は1週間に2本ずつエッセーを書き、それとは別にプレゼンテーションをする。最後の1学期は、試験勉強を兼ねて、より多くのエッセーを書く。

 試験はペーパーを二つ落とすと、再試験。それに合格しなければ放校。学生は転入先の大学を探して移っていく。留年ではなく、放校だから、学生も真剣だ。オックスフォード大学は放校される学生が多いことで知られる。

 英国では、各講義担当の教員が試験をして単位を出すわけではない。

 例えば社会人類学科であれば、学生は親族や宗教など、複数のペーパーから選んで受験する。複数の教員が設問を何度も練り、他大学の教員も採点に加わるので、お手盛りはできない。

 EU(欧州連合)出身以外の学生は、政府の援助を受けられないので学費はきわめて高いが、日本でも学費は高くても、同じように手をかけた教育を行う大学があっても良いのではないか。

 大学関係者は文科省の規制を理由に抜本的改革をできないとしがちだ。教育は社会のあり方とも密接につながっている。

 特集記事などでは、取材対象者の視点を超えて、単位制や講義時間の長さなど既成の枠組みの見直しを始め、異なったシステムの併用や社会のあり方なども含んだ、構造的問題の変革を推進するような役割を期待している。(慶応大学非常勤講師)