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(2002年12月17日付)
アメリカは自国と世界の平和を守るためには、先制攻撃も辞さないという国家安全保障戦略を打ち出している。オーストラリアのジョン・ハワード首相は、隣国からテロリストが攻撃する前に先手を打つと発言し、東南アジアの一部からは激しい抗議の声があがっている。
先制攻撃は、国連を中心とした国際組織や国際法に反し、これらに基づいて戦後形成された国際秩序を覆すというのが、批判の所以である。たしかに軍事力上優位な国家が、何の縛りもなく他国を攻撃することが許されれば、弱肉強食のジャングルの掟のみが働くことになってしまう。
しかし、国家をもたず、国境を尊重せず、また軍が軍を攻撃するのではなく、民間人を攻撃目標にするテロリストという集団を前に、攻撃されるまで待つのが国家指導者として責任ある態度とも言えない。
ハワード首相は、「もし誰かが自国を攻撃することが分かっていて、それを阻止する力を自分が備えており、かつ、その力を使う以外に敵を止める方法が無い場合はその手段を用いるのは当然だ」と述べている。
国連憲章は、武力攻撃を受けた場合にのみ自衛権を行使できると記しているが、より柔軟な法解釈では脅威が十分に差し迫っていると判断した場合も自衛権としての武力行使が許されるとされてきた。文字通りの解釈と柔軟な解釈間の論争は解決していない。
法解釈議論の以前に国連憲章や国際法の土台となっている状況と現状を比較する必要もある。そもそも武力攻撃として想定されてきたのは、一国の軍隊による軍事攻撃であるが、当然武器、兵力を集結させる過程で攻撃される相手に差し迫った状況が明らかになる。脅威の顕在化というのは、まさに目に見える状況である。
しかし、個人あるいは少人数による自爆や有毒物の使用といったテロリストの「武器」は、顕在化した時には既に手遅れとなるのは、対米同時多発テロばかりでなくバリのディスコ爆破、フランスのタンカー爆撃、あるいは日本でのサリン事件などが如実に語っている。
自国の大使館あるいは他国に駐屯する自国兵士への攻撃に対し、自衛権の行使としての武力攻撃という手段は過去に行使されてきた。80年代のアメリカによるリビア攻撃、フランスのレバノン攻撃、98年の在ケニア、タンザニアのアメリカ大使館爆破に対するスーダン、アフガニスタン攻撃。昨年の同時多発テロ発生後のアフガニスタン攻撃も同等の解釈ができる。
しかしアメリカの新国家安全保障戦略やハワード首相の発言は撃たれる前に撃つという自衛権の文字通りの解釈にはまらない行動を示唆している。イラク攻撃もアルカイダとのつながりが必ずしも証明されない現状では、文字通りの解釈にははまらない。
しかし一方で国際法や経済・人道的支援ではその危険な行動を抑止できない場合があるのは、アルカイダなどのテロリストばかりでなく朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核開発やレバノンへのミサイル輸出が物語っている。
ここで差し迫った危険とは何かという解釈が重要になってくる。国際社会を守る法や組織は、現代社会に脅威をもたらす集団の用いる手段や目的に対応できなくてはならない。
超大国が独自に差し迫った危険を判断し、単独で「自衛権」を行使することを恐れる声があるが、国際社会の声が行動の重要な指針となるのは、アメリカが国連にイラク決議を持ち込んだことでも分かる。
無差別に人命を奪う敵を前に、差し迫った脅威とは何か、自衛権とはなにかといった、現状を鑑みた国際秩序を構築するための議論が求められる。
(アメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員)