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メディア月評

連載コラム
「メディア月評」
ワイド版

【12=完】


対談「2002年の報道界を振り返る」

川上和久(明治学院大学教授)

村上直之(神戸女学院大学教授)

(2002年12月24日付)



メディア戦略に翻弄された1年

結果的に世論をミスリード(誤導)か


 今年、折々のマスコミの問題点を突く評論を連載してきた川上和久・明治学院大学教授の「メディア月評」最終回は、「2002年の報道界を振り返る」と題して、村上直之・神戸女学院大学教授との対談形式でお届けします。

 「事件報道」型に拘泥する日本マスコミ

 村上 1年におよんだ川上さんの『メディア月評』は、1月22日付「ペイオフと金融危機報道」からスタートしました。その際に提起された「メディアから提供される情報に基づいて、国民全体で、金融危機を回避し乗り越えていくような議論」と、「構造改革を着実に実行し、社会を変えていく力になるような前向きの報道」は、はたしてこの1年間、実行されたでしょうか?

 川上 残念ながら、されてこなかったと言わざるを得ません。構造改革を掲げて登場した小泉政権は、ある意味で“メディアが持ち上げてきた内閣”とも言えるでしょう。しかし、その内閣の仕事を追いながら、「失われた10年」と言われる中で、改革の中身についての十分な議論がメディアでなされてきたのかどうか。派閥や政局がらみの報道ばかりでなく、有権者が改革の議論に参加できるような報道であってほしいと願って、今年の最初に改革の問題を取り上げたのですが。

 たとえば内閣の「改革工程表」があって、自民党内の議論では出てきますし党のホームページにも出てきます。しかし、新聞・テレビでは、その後のフォローがされてこなかった。道路公団民営化の問題にしても、報道が国民の議論に結びついていないと思います。委員会内の感情のぶつかり合いとか、「民営化推進派」と「道路族議員」の対立という単純な図式に落とし込んで、善悪二元論にされてしまった。道路行政の未来をどうするのかという問題について、われわれ国民が“あるべき議論”に参加できないままで過ぎていったと感じています。

 村上 日本の報道は結局「事件報道」なんですね。マスコミの新人記者教育が事件記者としての“サツ回り”から始まることの弊害は大きいと私は思っています。だから報道がすべて善悪二元論になってしまう。連載では田中外相更迭劇、鈴木宗男スキャンダル、政策秘書給与疑惑なども取り上げられていました。これらの報道に共通するのは、メディア独自の取材による「調査報道」というよりも、当該機関によるいわゆる「リーク情報」をもとにした報道に終始したのではなかったかという懸念です。

 田中外相“更迭劇”が投げかけた問題点

 川上 田中元外相の問題にしても、アーミテイジ米国務副長官との会見をキャンセルしたことを含めて、前々から「問題」はあったわけですね。読売・産経など一部のメディアは批判していましたが、テレビなどでは田中さんのメディア戦略に乗せられる格好で、ああいう更迭劇になるまでは、国民的人気を気にして彼女を持ち上げ続けた。鈴木宗男氏の問題や秘書給与疑惑にしても、いわば永田町では常識化していた問題だったのです。結果的に、「ここで誰それを叩いておこうか」というメディア戦略に乗せられて一気に出たという感じです。

 村上 川上さんの『メディア月評』に一貫していたものは、今日のマスメディアの特徴ともいえる「メディア戦略に翻弄され続けたわが国のマスメディア」への警鐘であったと感じています。ご指摘になっていたようにメディアは情報を発信する立場である前に、取材者として“情報の恩恵を受けている立場”です。それだけに、しっかりした自主性を持たなければ巧妙なメディア戦略に利用される危険性を常にはらんでいます。

 川上 たとえばイエメン沖で臨検された北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)籍の船がミサイル部品を積んでいた問題だって、北朝鮮を出航した時から米国はずっと衛星で監視していたでしょう。あのタイミングでミサイル部品が“発見”され、メディアにリークされたことは、言うまでもなく米国の意図です。

 個々のメディアが何かの流れを作ってやろうなどとは考えていないにしても、事実を切り取って報道していくだけでは、結果的に客観報道であったとしても、情報の送り手の意図に乗ってしまう。そういう情報の発信者の意図まで、読者・視聴者が読みとるのは困難でしょう。

 村上 大企業の不祥事の記事が、目立たないよう首相の訪朝というビッグニュースにタイミングを合わせて報じられたこともありました。自分の書いた記事がどう扱われているのかということを、今の記者たちは勉強しているのでしょうか。

 調査報道の衰亡「ザ・スクープ」終了

 川上 そういうことを、一瞬立ち止まって考えてみる必要性があると思いますね。特に、昨今の政治はメディアが世論に及ぼす影響を気にしています。メディアが世論を誘導するのも困りますが、受け取った情報を受け身的に発信するだけでは、メディアの信用そのものが揺らぎます。

 村上 メディアの自主的な調査報道ということでは、川上さんは「消えるザ・スクープ」と題されて、コスト効果を理由に良質の報道番組が逆風にさらされている現状を指摘されていました。

 川上 『ザ・スクープ』の打ち切りは大変残念でした。桶川の女子大生刺殺事件報道などは、警察行政の怠慢をメディアが揺り動かした好例でした。こうした地道な取材を要する番組は、コストの割に収益としては成果が上がらないものです。われわれ学者がアカデミックな立場から「残念だ」と言うのは簡単だと批判されるかもしれません。民間放送の場合、難しい問題も多いでしょう。しかし、コストを理由に自立した報道が消えていってよいのかどうか。メディアの側に、こうした調査報道を守っていく一種のファンド(基金)があってもいいと私は思います。 

 村上 じつは平成14年度版の犯罪白書によると、前年度の一般刑法犯の数が273万、検挙率が戦後初めて20%を割りました(19・8%)。メディアはこの事実を取り上げて、戦後最悪とうたって市民の不安をあおりましたが、この背景について犯罪学者の谷岡一郎氏が興味深い事実を述べています(『エコノミスト』12月24日号)。

 それによると、桶川の事件など、警察行政の怠慢がクローズアップされた平成11年でしたが、当時就任した警察庁長官が「市民からの些細な相談にきちんと応じること」を指示したのです。すると、11年には34万件だった相談件数が12年には74万件、13年には93万件と急増したわけです。こうしたことも、私は『ザ・スクープ』の影響が大きいと思っています。

 川上 なるほど。単に治安が悪化しているのではないかと日常生活に不安を抱いている人が増えていると思うので、警察行政の対応が変わっていることもきちんと報道すべきですね。

 危ういワイドショー的「拉致問題」論議

 村上 最後に、小泉訪朝以降の「拉致問題報道」です。何か事件が起きると集中豪雨的に報道して終わっていたわが国のメディアですが、この問題については息の長い報道を続けています。月評では、「拉致問題にしても、核開発の問題にしても、事件が起きたり、米国から情報がもたらされたり、政治的な俎上にその話題が載せられることで報道量が増えるというだけでは、どうしても報道が受け身となり、情報発信した側に議題設定されることで、結果的に世論をミスリードしてしまう結果にもなりかねない」と指摘されていますね。

 川上 北朝鮮問題の特殊性ということは考えておく必要があると思います。第1に、外国のメディアが自由に取材できない。第2に「報道の自由」が向こうにはないということです。場合によっては、こちらの報道が向こうの政府に利用されてしまう可能性も十分あります。いわば「報道と国家安全保障」の問題です。

 メディアの自立性や自主性が損なわれることは問題ですが、「報道の自由」によって日本のメディアが流した情報が日朝交渉に悪影響を及ぼすようなことになった場合、メディアはどう責任をとるのか。“ワイドショー的報道”では、北朝鮮にも日本政府にも米国政府にも利用される危険性があります。今も支援物資が送られていることや石炭の代わりに古タイヤが輸出されていることなどを前々から調査報道できていなかったことにも不安を感じます。



略歴

 村上直之(神戸女学院大学教授)

 むらかみ・なおゆき 1945年、高崎市生まれ。京都大学教育学部卒。京都大学助手を経て神戸女学院大学へ。主な著書に『花のおそれ』(誠文堂新光社)、『近代ジャーナリズムの誕生・イギリス犯罪報道の社会史から』(岩波書店)などがある。

 川上和久(明治学院大学教授)

 かわかみ・かずひさ 1957年、東京生まれ。東京大学卒。同大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。東海大学助教授を経て現職。専門は社会心理学・コミュニケーション論。著書に『情報操作のトリック――その歴史と方法』『メディアの進化と権力』など。