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(2002年11月26日付)
イギリスの大衆紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」の記者の「お手柄」が、日本の各紙にも報じられた。この大衆紙の記者は、美術品の窃盗グループに、記者であるという身分を隠して潜入し、その中で、サッカーのスター選手であり、大富豪でもあるベッカム選手夫人の誘拐計画を知った。
そこで、記者らはグループのリーダーとの商談をでっち上げ、リーダーを呼び出すことに成功した。警察は記者らの通報を受けてその現場に駆けつけ、グループは窃盗・誘拐容疑で逮捕されたのだった。逮捕の際の生々しい写真も、いくつかの新聞の紙面を飾った。
「ベッカム夫人が誘拐されかけたところを、危機一髪で救った」というような形で、ある一面から見れば、今回の記者の潜入取材はお手柄ということになろう。しかし、取材する目的を秘匿して取材対象に迫っていくという行為が、どこまで許されるのかというと、コトはそう簡単ではない。
先日も明治学院大学の学園祭における鳩山由紀夫民主党代表の政治講演会で、「電波少年に毛が生えた」のコーラス隊が、一般人であると身分を偽って潜入し、質疑応答の時間に挙手して、鳩山代表の前で、鳩山代表を揶揄する替え歌を歌い、それを収録するという事件が発生した。
鳩山代表も、自身が揶揄されるということに対してではなく、政治講演を目的とした場所で、しかも学生等の実行委員が長い時間をかけて準備した企画に潜入して、その企画を破壊したことに対して抗議した。テレビ局側も、結局その非を認め、大学に謝罪した上で放送中止を決めるという良識的対応をとった。
だが、取材目的を隠して収録した画を放送中止にするといったような対応は、むしろ稀なケースに属する。取材する側が、あるときはスクープを得るため、あるときは視聴率を稼ぐために、その都合を優先して、取材される側の迷惑を顧みず、結果的に取材された側を傷つけてしまう例は、枚挙にいとまがない。
また、特に麻薬取引などの犯罪行為の場合、犯罪に密着することで、潜入取材しなければ犯罪行為に手を染めることがなかったかもしれないのに、結果的に犯罪行為を誘発したり、犯罪集団と関係ができることで、犯罪集団に対して便宜供与することとなり、問題になったケースもある。
もちろん、ベッカム夫人誘拐事件にしても電波少年事件にしても、犯罪のスクープにしても、メディアがその取材意図をあらかじめ告げていれば、取材が不可能であることは明らかである。
では、どういった場合に取材目的を秘匿した潜入取材が許され、どういった場合には許されないのだろうか。それぞれのメディアの倫理観がそこでは影響してくるだろうが、取材目的を秘匿して取材を行うことが、公益に資するかどうかということが、一つの判断基準になろう。
取材目的を告げないで取材しなければ、反社会的な犯罪行為を暴くことができなかったり、人権を踏みにじるような独裁国家の実態を報道することができない、というような場合は、こういった潜入取材も許容範囲であろう。
しかし、公益に資するという目的と、スクープして価値ある情報を提供することの間の線引きは、取材する側や情報の受け手の主観にも影響され、非常に難しい。
潜入取材の是非は、一つ一つの事例も積み重ねながら、メディアと受け手の、リテラシーを前提とした判断基準が醸成されていくのが望ましいのであって、決してメディアのみが自らの思い込みで突っ走っていいものではないはずだ。
(明治学院大学教授)