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メディア月評

連載コラム
「メディア月評」
明治学院大学教授・川上和久

【7】



情報操作に利用される報道機関
ボスニアのメディア戦略の巧みさ

(2002年7月23日付)


 久しぶりに、本を読み進めながら、震えるような興奮が止まらない体験をした。NHKディレクターの高木徹氏が著した『戦争広告代理店』(講談社)である。

 文字通り、戦争におけるPR会社の暗躍を描いている。舞台は1990年代。当時、旧ユーゴスラビア連邦から独立したボスニア・ヘルツェゴビナは、軍事的に優位なセルビア人勢力の攻撃を受け、風前の灯だった。

 そこで、ボスニア・ヘルツェゴビナ政府は、アメリカのPR会社、ルーダー・フィン社と契約し、メディア戦略を駆使して、この紛争を、内戦から国際的な問題に発展させ、欧米諸国の協力をとりつけようと図ったのである。

 ルーダー・フィン社は、まずボスニアのシライジッチ外相をアメリカのメディアや政府に売りこんだ。その上で、ボスニアの窮状を、大手のメディアに対してFAX通信や人脈などを活用してニュースとして大きく扱うよう働きかけを行い、記者も味方につけながら、セルビア人の残虐性を次々に報道してもらい、受け手に刷り込むことに成功した。

 当時、日本のメディアでも「悪者ミロシェビッチ率いるセルビア」により人権侵害を受けるボスニアという勧善懲悪の対立軸が報道の主流だったように記憶している。

 その極めつけが、「民族浄化」というキーワードだ。セルビアが、強制収容所を作るなどして、ボスニアのモスレム人の抹殺を図っているという情緒的なキーワードだった。こういったメディア戦略が功を奏し、セルビアを含むユーゴスラビア連邦は国連から追放されることになる。

 この本は、NHKスペシャルで放送された「民族浄化」をもとに、丹念な取材を積み重ねて、メディア戦略を扱った、息もつかせぬ第一級のノンフィクションに仕上がっている。まるで小説を読んでいるような錯覚に襲われるが、こういったメディア戦略で政治が動いていくのもまた、現実なのだ。

 湾岸戦争にしてもアフガニスタン紛争にしても、さらには卑近な例でいえば、長野県知事の不信任を巡る一連の騒動もそうだが、世論が形成される過程においては、必ず、情報の送り手によるメディア戦略が介在している。

 ボスニアやアメリカがそうであったように、メディア戦略に長け、世論を味方につけることができた方が勝利を収める。その過程においては、人の心の深奥に響くような言葉、たとえば、残虐性を訴えたり、人道にもとる行為を訴えたり、平和・正義の感覚を刺激する言葉が使われたりする。

 政治がパワーゲームの側面を持っている以上、目的に向かって、世論を味方につけるため、メディア戦略が必要なことは言うまでもない。しかし、目的を達成するためには手段を選ばず、ありもしない事実を捏造して宣伝(ブラック・プロパガンダ)する手法は、メディア自身への信頼を損ねることに通じる。

 ボスニアの例では、多少の誇張や事実の切り取り方の偏りがあるにせよ、あくまでPR会社が提供した事実に基づき、メディアが主体的な判断で報道を行っている(ホワイト・プロパガンダ)。

 メディアは、目的を持って情報を提供してくる側に対して、それが事実であるかどうかの最低限の確認が求められるし、受け手の側も、その事実がどのような目的を持って発信されているかについて、常に注意深く見守る必要がある。

 メディア戦略なき国は、ユーゴのように国際社会の中でその地位を失うかもしれないが、真実が正義であるという眼を我々が持ってメディアに接するべきであるということも、一面の真理ではないだろうか。

(明治学院大学教授)