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メディア月評

連載コラム
「メディア月評」
神戸女学院大学教授・村上直之

ワイド版
【9】


対談『戦争報道とアメリカ』を巡って

(京都女子大学教授・柴山哲也/神戸女学院大学教授・村上直之)

(2003年9月30日付)


ジャーナリズム論とメディア産業論の結合



 今月のメディア月評は、先月発刊された『戦争報道とアメリカ』(PHP新書)を巡って、連載担当の村上直之・神戸女学院大学教授に、著者の柴山哲也・京都女子大学教授との対談形式でまとめていただきました。


日本型システムは崩壊したか

 村上 今回、メディア月評の枠をこえて、先ごろ『戦争報道とアメリカ』を出版された柴山さんにぜひ話をうかがいたいと思った理由をまず述べさせてもらいます。
 6年前、柴山さんは『日本型メディア・システムの崩壊』という本を出版されました。当時は、その書名からして、わが国のジャーナリズムに対する全面的批判あるいは告発の書と誤解されて読まれたのではないかと思われます。

 柴山 評論家の山崎正和さんに「警鐘の書」と評されました。

 村上 従来、わが国のメディア研究では、ジャーナリズム論とメディア産業論とりわけ経営論とはそれぞれ別個に論じられ、たがいに噛み合うことがありませんでした。その唯一の例外が国際ジャーナリストとしての長い経験に裏打ちされた柴山さんの仕事だったと思います。
 あの本は、比較文明論的な視野にたった独自のメディア情報産業論の立場から、わが国のジャーナリズムの歴史を総合的に分析することによって、21世紀日本のジャーナリズムとメディアが国際化の時代の中でどのような方向に進むべきか、その指針をむしろポジティブかつ大胆に提示してくれた書物だと私は理解しています。
 今回の本は、その延長線上に書かれていると思いますが、いかがでしょう。

 柴山 その通りです。メディア情報産業の研究が私のライフワークです。もっとも、この本は「戦争報道とアメリカ」という題名が示すようにはアメリカの報道のみをテーマにしたものではありません。

情報戦争としてのイラク戦争

 村上 たしかに、日本のジャーナリズムが触れることの少ないヨーロッパ・メディアの動向の分析も興味深いものでした。
 けれど何といっても、コングロマリット化したアメリカの巨大メディア産業が情報戦争と呼ばれたイラク戦争で果たした役割を論じたところが圧巻です。とりわけ興味深いのは、ネオコン(新保守主義)の主唱する「アメリカ型の自由と民主主義の世界化」とアメリカのメディア産業による「情報とメディア資本の世界化」が同一のレベルでいかに絡み合って進行したかを検証しているくだりです。
 もっとも、こうした作業は世界メディアという幅広い視野にたった柴山さんにしてはじめて可能だったと思います。すでに5年前、「ネオコン(当時はネオリベラリズムと呼ばれていた)が21世紀世界を席巻する支配的な潮流となる」というフランスの『ルモンド・ディプロマティク』の特集記事をわが国にいち早く紹介して警告されていたのですから(『潮』1998年2月号)。
 もちろん、日本のメディアがイラク戦争をどう報道したかについても一章をもうけて論じられています。けれど、その評価は大変きびしい。
 イラク戦争に対する多様な見方や立場からの報道はあっても、日本人のアイデンティティーの立脚点を問おうとせず、「観客席での戦争見物」の域を出ていない。わが国のジャーナリズムは衰退の道をたどっている、と述べられています。
 そうした判断は、前著で、日本のジャーナリズムの特徴として、近い将来、世界の「調整機能」を果たす可能性があると積極的に評価されようとした「中立」そして「不偏不党」という原理そのものが「観客客観主義」というかたちに変質してしまったという現状認識からでしょうか。
 前著から6年、かつてはポジティブだった柴山さんの日本のジャーナリズムに対する目は悲観的になったのだろうか――そんな疑問から、今回の『戦争報道とアメリカ』を踏まえて、今後の日本のジャーナリズムとメディアのあり方について、どのような展望を持たれているかを伺いたいと思った次第です。

記者クラブと外国人記者の目

 村上 日本の記者クラブの問題は、前著でも情報公開法との関連から論じられ、行政改革と同質の構造をもっていると分析されていましたが、今回の本では、とてもショッキングな指摘がなされています。
 最近さかんな有事立法などの論議は軍事的側面に偏りすぎている。「有事」が発生した際、記者クラブに依存する現状の報道システムでは戦前の「大本営発表」に後戻りしてしまうという指摘です。

 柴山 新聞はこの問題を社論で取り上げるべきです。日本の報道システムが「有事」に耐えられないのではないかという認識はむしろ日本駐在の外国人記者たちに共通しています。今年3月中旬、「外国人記者協会」が主催した「日本の記者クラブ」についてのシンポジウムの司会を務めたとき、外国人特派員たちの間にそうした危機意識があることを知りました。

 村上 『戦争報道とアメリカ』の中で、EU(欧州連合)と日本の経済交渉の場で「記者クラブ廃止」が公式要求として持ち出されたことを指摘されていますが、そのシンポジウムもその一環として開催されたのですか。

 柴山 そうです。外務省からは元NHKの高嶋肇久報道官が出席しています。記者クラブ改革の先駆けとなったジャーナリスト出身でもある元鎌倉市長の竹内謙さんが記者クラブの記者を養殖池の鮎にたとえていたのが印象的でした。

 村上 ここでちょっと読者のためにお知らせしますが、柴山さんが司会をされたこのシンポジウムは、神保哲生氏が主宰しているインターネット放送で公開されていてだれでも視聴することができます。(http://www.videonews.com/)
 竹内謙さんといえば、韓国の記者クラブ改革の烽火をあげたインターネット新聞『Oh my News』の応援にも駆けつけていますね。韓国記者クラブは、わが国が植民地時代に輸出したものですが、一昨年からインターネット新聞や地方新聞社が改革のための裁判を起こして次々と勝訴しています。

日本発の国際メディア創出を

 村上 お聞きしたいことは尽きませんが、最後に、今後の日本のジャーナリズムとメディアが進むべき針路についてお話ください。

 柴山 世界メディアのグローバリゼーションの加速を前にして、日本のメディアは記者クラブ制度や飽和した国内の部数競争、視聴率競争のありかたを自己変革できず互いに食いつぶしあっています。思い切った構造改革ができないで衰弱の度合いを深めているわけです。
 しかし、今こそグローバルメディア創出に目を向ける必要があります。日本やアジア発のニュースを国際規模で発信するメディアやジャーナリズムの創出です。
 欧米の情報資本は18世紀の植民地主義の時代からロイターやUPIなどの巨大通信社によって情報の世界分割をしてきましたが、イラク戦争報道などで、カタールの国際テレビ・アルジャジーラが欧米ニュース帝国の一角を崩したことは特記すべきことです。日本のメディア資本はアルジャジーラの方法を見習うべきではないでしょうか。
 戦前の日本には同盟通信という国策ニュース配信会社が政府や軍部の協力で作られたが、敗戦によって解体しました。同盟はアジア発の世界ニュース創出に関してはそれなりの影響力をもっていたが、敗戦以降、日本のメディアの世界化の試みはなくなり、ひたすら内向きの競争に明け暮れてきました。
 拙著『日本型メディア・システムの崩壊』でも述べましたが、日本のメディアが掲げてきた「不偏不党」の精神も、日本発のグローバルメディアができれば、魂を入れ替えて再生できるのではないでしょうか。
 相互に国益や自己利害を主張する言論の自由だけでは、世界世論は分裂を深めるだけです。戦争や紛争、文化衝突が繰り返されるだけです。メディアの影響力がきわめて巨大化してきた世界には、「不偏不党」の立場から世界世論を形成する世界ジャーナリズムの機能が必要となってきました。
 この役割は言論の自由を至上とする欧米のメディアには不向きです。不偏不党による調整・仲裁の役割を日本の国際メディアが果たすことができるのではないかと、ひそかな希望をつないでいます。


略歴

 むらかみ・なおゆき 1945年生まれ。京都大学教育学部卒。京都大学助手を経て神戸女学院大学へ。主な著書に『花のおそれ』(誠文堂新光社)、『近代ジャーナリズムの誕生・イギリス犯罪報道の社会史から』(岩波書店)などがある。

 しばやま・てつや 1940年生まれ。朝日新聞記者として東京本社学芸部、「朝日ジャーナル」編集部等を歴任。95年に退職後、ハワイ東西センター研究員などを経て現職。著書に『ヘミングウェイはなぜ死んだか』(朝日ソノラマ)、『日本型メディア・システムの崩壊』(柏書房)など。