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メディア月評

連載コラム
「メディア月評」
神戸女学院大学教授・村上直之

【6】



デジタル時代の著作権法の改正
新聞は何を伝えていないか

(2003年6月24日付)

 新聞労連が設立40周年を記念して徳島で新聞研究大会を開催したことがある。「新聞は何を伝えていないか」というのが全体のテーマであった。分科会に招かれて出席した私は、その標語に、現代史の先端を行く自信にあふれた彼らジャーナリストの自己点検の姿勢をかいま見て、ほほえましく思ったことを記憶している。

 もう18年前のことである。そんなことを思い出したのは、6月12日、著作権法の改正案が衆院本会議で全会一致で可決・成立したことを伝える翌日の全国紙朝刊の扱いにア然としたからである。

 これを報じたのは3紙。『読売』が「映像著作権70年に延長」、『毎日』が「改正著作権法が成立」、『産経』が「著作権保護期間70年に」という見出しで、この改正によって著作権保護の期間が現行の公表後50年から70年に延長され、ビデオやパソコンソフトやCDなどの海賊版の販売をめぐる訴訟で原告側の立証責任が軽減されるとともに損害額の算定が簡便になったことを、いずれも小さなベタ記事で報じただけである。

 地方紙については『神戸』1紙しか目を通していないが、「小津映画の美20年“延命”」という3段抜きの見出しで、今年末に小津安二郎監督の「東京物語」など日本映画黄金期の50年代に製作された作品が保護期限切れになることがきっかけになったという背景説明を加え、映画業界関係者の喜びのコメントを載せている。

 この記事は共同通信の配信によるものだから、他の地方紙で同様の記事を読まれた方も多いだろう。けれど、改正の経緯を客観的に報道した内容であって、全国紙3紙とそう変わりはない。

 さて、新聞をはじめジャーナリズムの重要な役割のひとつにアジェンダ(議題)設定と呼ばれる機能があることは、よく知られている。つまり事実を客観的に報じるばかりでなく、それが孕む問題点を読者に喚起し、未来へ向けて議論のアリーナ(場)を提供する役割のことである。

 はたして今回の著作権法改正に問題はなかったのだろうか。

 昨年6月に出版された『日本文化の模倣と創造』(角川選書)のなかで、国際日本文化研究センターの山田奨治助教授は内外の著作権法の歴史をふり返り、この法が作者個人の権利保護よりもメディア産業の保護のために期限延長を繰り返してきたことを明らかにしている。

 さらに山田氏は、私たちがAV機器やテープや生ディスクなどを購入するさい、音楽や映画などの著作物がこれらの機器や媒体を使ってコピーされた場合の経済的な損失を業界に補償するために卸売価格の数%分があらかじめ上積みされている「私的録音録画保証金制度」の存在を指摘している。今回の法改正ではこの制度はどうなったのか。わが国のメディアはまるで伝えてくれない。

 けれど、より重要な論点は、現在の著作権法が文化の創造力を衰微させるという指摘であり、パブリック・ドメイン(公共文化財)の法的整備こそ急がれなければならないというのが彼の主張である。

 山田氏の立場はけっして特異なものではない。すでにアメリカでは、作者の著作権それ自体を保護しつつ無償で作品を相互利用しあう「クリエイティブ・コモンズ」というNPOの運動があり、先月31日、わが国でも、国際大学グローバル・コミュニケーション・センターを拠点にスタートしたばかりだ。私がこのニュースを知ったのはインターネットによってである。(神戸女学院大学教授)