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(2003年4月22日付)
4月9日深夜から10日朝にかけて、テレビと新聞に「バグダッド陥落」「フセイン政権崩壊」の大見出しが踊ったあと、わが国のメディアの関心は北朝鮮問題をはじめイラク開戦前から積み残してきたイシュウへと戻りつつある。だが、12人のメディア関係者の死をもたらしたイラク戦争の報道についてぜひ検証しておかなければならないだろう。
私はこの月評の第1回に「新聞の最大の関心事は戦争である」という19世紀イギリスのW・スコット卿の言葉を紹介した。その理由は近代ジャーナリズムが国民国家の形成と維持に不可欠な、いわば国民ジャーナリズムとして成立してきたことを確認しておきたかったからだ。
また、第2回でテレビ放送50年に触れて、テレビが人びとを起こりつつある出来事の現場に立ち会わせる民衆的なイベント・メディアであることを指摘した。
私が今回のイラク戦争を報じるテレビ画面の前に釘付けになったのは、そうしたイベント・メディアとしてのテレビが、従来の国民ジャーナリズムの暗黙の枠組みをこえ、より広い公共圏の地平を切り開く新たな地球規模の民衆ジャーナリズムとして成立することは可能なのかという問題関心からである。
もちろん、テレビが伝える映像それ自体はきわめて情報操作の対象になりやすい性格をもっている。アメリカ国防総省がエンベッド(埋め込み)取材と称して600人もの内外の従軍記者を空母や戦車に配し、またイラク側も海外の報道関係者にバグダッドでの取材を情報省の監視下に認めたのも、それぞれの国家戦略に有利な情報が世界に流れることを見込んでのことであった。
では、そうした情報戦略ははたして成功しただろうか。ハリウッド映画の手法を駆使したアメリカ側の戦略は功を奏しただろうか。また、イラク情報省側は? 答えは否であった。
今回の戦争がインマルサット(国際衛星電話)をはじめ、高度な映像テクノロジーによって最前線の戦闘状況と空爆現場をほとんどリアルタイムで「お茶の間」に届ける人類史上最初の戦争となったという指摘はすでに多くの評者によってなされている。
だが、私が忘れてならないと思うのは、テレビというメディアが報道主体の意図や期待とは裏腹に、彼らの無意識をも上位レベルで伝えてしまう自己言及的なメディアであるという事実である。アメリカ、イラク双方の情報戦略の失敗はテレビ自体のもつこの特性によってなのである。
もちろん、それを可能にした報道関係者たち、とりわけ独立系のジャーナリストたちの不屈の努力があったことはいうまでもない。けれど、たとえば3人の取材記者の死をもたらした衛星テレビ・アルジャジーラ支局への爆撃やパレスチナ・ホテルへの砲撃の生々しい惨劇の映像も、テレビというメディアの自己言及的特性をものがたることもまた事実なのだ。
イギリスのBBCはインターネット上で、国際報道機関としての責任ある戦争報道のルールを作成し、公正・公平・信頼と人道的配慮ある報道をなすべきことを唱えている。そうした倫理規定の構築に私も賛成である。
けれど、以上のようなイベント・メディアとしてのテレビの特性をあえて再び指摘するのは、近い将来、ブロードバンド(大容量通信)の普及によって、テレビ・メディアが地球規模の民衆ジャーナリズムとして成立する予感を、今回の理不尽な戦争のなかにせめて見いだすことができたからである。(神戸女学院大学教授)