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メディア月評

連載コラム
「メディア月評」
神戸女学院大学教授・村上直之

【2】



テレビ放送開始50年
イベント・メディアとしての倫理の再構築を

(2003年2月25日付)

 今月は、テレビというメディアについて考えるまたとない機会をもつことができた。

 そのきっかけは、2月1日、NHKがテレビ放送開始50周年を祝って組んだ記念番組である。NHKはこの日、朝8時から深夜0時まで、ニュースや人気ドラマをのぞく全時間帯を費やした。その後もおよそ1カ月間、ドラマ、歌謡、スポーツ、ドキュメンタリーとジャンル別の特集を組み、「シルクロード」全12編をはじめNHKが所蔵する数々の貴重な映像を惜しげもなく放映した。

 この一大イベントは、映像メディアが映像それ自体によって自らの歴史を振り返る試みとして画期的だった。それ以前にも、TBSが開局50年を記念して、自局のラジオ・テレビ番組ダイジェスト版のDVDを出版した例はある。だが、TBSの場合、自らの歴史を語るに際しては併録した社史つまり活字メディアにゆだねた。

 過去の出演者を一堂に集め、参加した視聴者とともに番組について語りあうというNHKのとった形式は一見ありふれて見えるが、自己言及の方法としてまさにテレビ独自のものである。

 私は新聞という活字ジャーナリズム以前の民衆メディアの歴史の研究に勤しんできた者だが、テレビというメディアが新聞以前の口承メディアの伝統を継承するものであることに今更ながら驚嘆した。テレビ50年の歴史を眺めながら、私にはそれがまるで欧米のブロードサイド(街角で楽器の調べとともに時事的なニュースを歌いながら売られていた一枚刷りの民衆読み物)や、わが国の瓦版の数百年の歴史を瞬時になぞるかのように映ったのである。

 テレビニュースの最初がもの珍しい外国の映像であったり、また高視聴率の番組が皇太子成婚記念パレードや東京オリンピックなど常にイベントものであったりと、テレビの特徴は、メディア技術の進歩という面を度外視すれば、まさに新聞という近代ジャーナリズム誕生以前の口承メディアと同じなのである。

 さらにいえば、新聞が起こった出来事を迅速に伝達することを使命とするいわば結果のジャーナリズムであるのに対して、テレビはかつての民衆メディアがそうであったように、よくも悪しくも人びとを起こりつつある出来事の現場に立ち会わせようとするイベント・メディアだということである。

 このようなテレビの性格を強調するのはほかでもない。テレビがすでに新聞以上に政治的社会的な影響力を発揮しているにもかかわらず、信頼度の面では及ばないという事実を今こそ直視すべき時ではないかと思うからだ。

 これまでテレビ報道の倫理は中立・公正・客観報道の原則などすべて新聞という結果のジャーナリズムに準拠してきたが、イベント・メディアとしての独自の論理によって再構築されなければならないだろう。

 以前、「やらせ番組」の映像資料を調べに横浜のニュースパークにある放送ライブラリーを訪れたことがある。だが、閲覧できる番組のVTRはひとつもなかった。新聞は縮刷版というかたちで過去のすべての記事を検証できる。テレビもそうした番組の記録を一般視聴者に公開してはじめて過ちの反復を防止し、ひいては信頼性の向上に資することができるだろう。

 テレビ放送50周年を記念して川口市にNHKアーカイブスが設立されたというが、その先鞭をつけることを願ってやまない。