【Seikyo Media Page】Copyright (C) 1997-2003 by The Seikyo Shimbun.



メディア月評

連載コラム
「メディア月評」
神戸女学院大学教授・村上直之

【1】



“イラク開戦待ち”モラトリアムの中で
週刊朝日VS週刊文春に見る報道倫理の決壊

(2003年1月28日付)

 今年になって、新聞の第1面トップが各紙各様という日が多いことにお気づきだろうか。

 例外は1月17日の朝刊くらいだろう。日経をのぞく各紙が8年目をむかえた阪神大震災についての記事をトップに扱っていたが、翌18日には『朝日』が「中国当局『脱北』日本人妻を保護」、『毎日』が「対北朝鮮天然ガス供給案」、『読売』が「B型肝炎輸血で感染」、『産経』が「東京の投信団体40億円集め破綻」と各紙まったく異なったニュースがトップを飾った。これはほんの一例にすぎない。

 これまで、わが国のメディアは横並びで画一的であるという批判がなされてきた。その典型的な例として、新聞第1面のトップ記事が、全国紙と地方紙を問わず、まったく同じニュースという日が多いという事実が指摘されてきた。

 では、今年1月の新聞第1面トップが各紙各様という現象は、わが国のメディアが価値の多様化の時代に適応すべく新たな性格を形成しつつあることの兆候なのだろうか。

 そうだとすれば、まさに1年の始まりにふさわしい慶賀すべき傾向といえるだろう。けれど、残念ながら、これはわが国のメディアがまったく別の状況に直面していることに起因している。

 昨年、新聞やテレビが連日トップで報じた国連イラク査察団やアメリカの対イラク攻撃準備のニュース、小泉首相の訪朝とそれに続く拉致被害者帰国のニュース、北朝鮮による核施設再開宣言のニュース。これら一連のトップニュースによって報道されたイシュウ(事柄)は今なお未解決であるばかりか、国際政治のパワーゲームの中で互いに絡みあいますます深刻化している。その中核をなすのは「アメリカの対イラク開戦はいつか」というイシュウであるだろう。

 「新聞の最大の関心事は戦争である」とは19世紀イギリスのウオルター・スコット卿の言葉だが、わが国のメディアは最大のニュース価値をもったニュースの<空位>というモラトリアム(執行猶予)状況の中でいわば宙吊りにされているのである。

 そうした状況はメディア内部にしばしばモラルハザード(倫理破たん)を引き起こす。

 『週刊朝日』は、1月24日号のトップに「地村保志・富貴江夫妻 誰にもいえなかった『真実』」というセンセーショナルな見出しの記事を掲載した。だが、1週間後の1月31日号では、「記事にしない約束で聞いた雑談を『本誌独占インタビュー』として掲載された」という地村さん一家からの抗議を全面的に認めて、最終誌面に謝罪文を載せている。

 だが、奇妙なことに、「独占インタビュー」なる記事が載った『週刊朝日』1月24日号と、ほぼ同時に発売された『週刊文春』1月23日号が、早くも「週刊朝日 地村夫妻騙し討ち『独占雑談』」という批判記事をトップ扱いで掲載しているのである。

 インターネットの「ヤフー・ニュース」掲示板に「朝日はなぜ回収しないのか」という読者の意見が書き込まれているが、ほぼ同時期に発売される週刊誌が、たとえ批判であれ、同じ話題の提供による相乗効果から、どちらも部数拡大による利益を得るだろうことは想像に難くない。

 この事実から見えてくるのは、「朝日」対「文春」というお定まりの対立の構図ではなく、メディア内部の「もたれあい」の構造ではないだろうか。

 なんとも気の重い1年の始まりである。