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メディア月評

連載コラム
「メディア月評」
和光大学教授・伊藤光彦

【9】



米国「同時多発テロ」報道の検証
新聞は「考える力」与えた

(2001年9月25日付)


 内外ともに、容易ならない事態が積み重なっている。

 アメリカの急速な景気減退があり、世界同時不況の影が深まっていた。そこに、ニューヨークとワシントンに対するイスラム原理主義勢力の未曾有のテロが起こった。世界を暗黒時代にたたき込む狙いを持っているかのように。

 ▼米国政治を引っ張るテレビ報道

 メディアの側面から事件を観察すれば、テレビ報道が米国政治をさえ引っ張っている状況が見てとれた。特に、ワシントンの政治中枢が機能不全に陥っていた事件発生直後は、3大ネットワークおよびCNNのキャスターが米国民の人心を取り仕切っている印象を与えた(BS、CS放送のおかげで、日本にいてもその一部始終が見て取れた)。諸国民が「テレビの映像こそ世界そのもの」と感じたであろう数十時間だった。

 今さらのように感服したのは、キャスターの悠揚迫らない落ち着きである。本人にとっても、刻々入ってくるニュース、映像は衝撃に次ぐ衝撃だったに違いないが、一瞬も声を荒げることはなかった。ジャーナリストという職業のすぐれた一典型を見る思いがしたものである。

 テロ発生当日、日本のテレビ報道も部分的ながらビデオ録画して、後に比較しつつ視聴してみた。NHKよりも民放TVが機動的な報道展開をしているのを知って驚いたり心強く思ったりした。ニューヨークとワシントンの総・支局チーフをリポーターにしたNHKの報道は、一瞬ずつ遅れをとっている印象を受けたのは私だけだろうか。

 詳細な報道は今日も続いていて、きわめて多面的だ。これ以上批評めいたことを記すのは避けるべきだろう。

 ▼NYタイムズの復刻版10万部が完売

 テレビと対置した時わかる新聞の強みに、このように書いてきて、あらためて気づいた。新聞は、私たちに考える時間を与えてくれるということである。世界が「報復戦争」やむなし、の方向へとぐいぐい突き進んでいる今のような時こそ、私たちは時代に流されない独立した思考の持ち主になることを要する。

 新聞は「映像」「音響」によっては摂取できない情報を伝える。これが最後に残された使命である。今回も新聞は写真を多用したが、超高層ビルに激突して行くジェット旅客機のテレビ「実像動画」に及ぶべくもない。一方で、事件のひざ元の新聞『ニューヨークタイムズ』がテロ発生を伝える12日付け同紙を後日に10万部増刷し発行したところ、すべて売り尽くしたそうだ。読者は、後に振り返って歴史の屈曲点を考えるよすがにしたい、との気持ちを抱いたものと想像する。

 テレビの報道手法の進歩は著しい。米国のテレビを見ていれば、元国務長官クラスの権威者が次々とコメンテーターとして発言する。テレビは一次情報の速報メディア、という時代は去っている。この時代、新聞は「深まる」ことによってだけ、その存在意義を発揮できよう。

 さまざまな領域(今回の例ではイスラム原理主義、タリバン、米国の危機管理体制、超高層ビルの構造、FBIのテロリスト捜査…)について十分な専門知識と取材力を持った記者の解説・分析こそ、読者が新聞に期待するものだろう。

 恐ろしい時代が始まっているのかもしれない。ただ「何が起こっているか」について誰もが知ることができることは不幸中の幸いだ。そして人々をパニックから防ぎ、もっと良い時代をつくるための知恵と勇気を与えるのに、新聞の眼力の深い冷静な論調は、今日なお、なにがしかの役割をはたすと考える。

(和光大学教授)