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メディア月評

連載コラム
「メディア月評」
和光大学教授・伊藤光彦

【5】



「歴史の岐路」と報道の役割
聖域なき改革を鋭く監視せよ

(2001年5月22日付)


 小泉政権の誕生とともに新聞もテレビも面白くなった。職場で、通勤電車のラッシュの中で、宵の街の酒場で、このごろしきりに聞く声だ。

 ▼政治パフォーマンスの特筆大書ばかり

 もちろん、メディアは小泉首相、田中外相に代表されるような「非在来型」の政治パフォーマンスを特筆大書すれば済むというものでない。私たちが片時も忘れてはならないのは、今日が日本という国の運命的な岐路だということだ。

 いま選択を誤れば、修正は長期的に難しい。言論人集団としてのマスコミが担う責務はまことに重大である。具体的には3つの仕事を挙げることができる。

 1つは、小泉政権の掲げる「聖域なき改革」がいかに進行するかを、鷹のような鋭い眼光をもって観察・監視することだ。とりわけ「族議員」と官僚の癒着による血税の分捕合戦の構造がどのように破壊されてゆくかを追求できるのはマスコミだけである。

 第2は「改革」の中で、大多数の国民が求める国家的悪癖の放棄(例えば、無益な公共事業の切り捨て)と、小泉首相らのイデオロギーに基づく現状変更(例えば、首相の靖国神社公式参拝)を厳密に区別して報道し、国民に十分な判断材料を与えること。

 3つ目は、転換期の歴史の記録者として冷静な姿勢、正確で念入りな報道を期すことである。小泉流改革獅子吼の詳細を伝えても、頭の中はさめていなければならない。「聖域なき改革」の中の最大の柱が、財政危機の克服であることは言うまでもない。

 小泉政権はプライマリー・バランス(基礎的収支均衡)の考え方を打ち出した。公共事業費・人件費などの一般歳出は、税収を軸とした通常歳入の範囲に留め、国債ではまかなわない、というものだ。

 逆に言えば、国債発行は当年度の国債元利支払いに必要な額だけにする政策であり、それは後代の国民に委ねざるを得ない累積借金をふやさないため必要だ、と説明されている。

 ▼収支均衡でも国債の累積残高は増える

 首相施政方針演説があった後、主要各紙で一斉に解説記事が出た。財政改革の中期的な目標を示す重要度1級クラスの政策案だ。しかし朝日、毎日、読売、日経4紙の解説を読む限り、共通して大きな報道脱落がある。プライマリー・バランスをもし実現できても、国債の累積残高はふえ続けるという事実についてだ(利払い分――平成13年度予算では国債費17・2兆円のうち10・4兆円を占める――を新規の国債発行で埋め合わせるのだから、残高は年々増大する)。

 大改革期であるからこそ、報道はこのような基本的な事柄を、しっかり押さえておいてほしいものである。

 逆に、感心した報道の紹介を一つ。日曜日朝のフジテレビ系政治討論番組「報道2001」の5月13日放映分だ。

 スタート時点の小泉政権政治を、多角的に解剖していた。特に、改革の重要分野と目されるけれど地味なテーマである「雇用自由化」(終身雇用制度からの離脱)問題にたっぷり時間をかけて取り組んだことに注目した。そこに生じるであろう大失業時代にどう対処するかを、坂口厚生労働大臣に直に質し、大臣から本音の声(「雇用情勢が悪化しても失業率は5%の前半に留めるよう施策を講じる」等)を聞き出すのに成功していた。

 政治報道が面白くなったと言っても、国民には浮ついているゆとりはなく、政治が何をいかに変革するかを、祈る思いで見つめている。新たに蘇った人びとの政治への関心は、日本の明日をさし示す真摯な情報への欲求に結びついていることを、報道人は銘記する必要があろう。

(和光大学教授)