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メディア月評

連載コラム
「メディア月評」
和光大学教授・伊藤光彦

【4】



スポーツ英雄報道の落とし穴
国民の欲求不満のハケ口に終始していないか

(2001年4月24日付)


 「麗しの五月」と詩人ゲーテが歌ったさわやかな季節がこの国にもやって来ようとするのに、日本の世情のうっとうしさは、何年間かを振り返って比類がない。新聞やテレビの報道に接することにより、私たちの心がふるい立ったり、明日への希望を見いだしたりする機会は本当にまれとなった。

 ▼光る米大リーグに転身した日本人選手の活躍

 もしもイチロー、新庄、佐々木、野茂という四人の野球選手がいなかったら、日本の市民は新聞を読もうとせず、テレビも点けたくない気持ちに陥ったかもしれない、と思われるほどである。バブル破裂以後の「失われた十年」を通じ、人びとの心をますます強くとらえるようになったのは、スポーツの世界だけではあるまいか。

 イチロー、新庄のメジャー入り渡米に付き従ったマスコミのスポーツ記者は四、五十人に及ぶと聞く。テレビのクルーを含めたら、優に百人を超すことだろう。NHKをはじめ各テレビ局のスポーツ・ニュースはメジャー・リーグ日本人選手の活躍をトップに据えることが定番になった。野茂のノーヒット・ノーランの好投が「朝日」の一面トップ記事になった(四月五日夕刊)のを見て、事ここに至れり、の感を強くした。

 人びとの好奇心を情報伝達で満たすことはメディアの基本的な機能である。イチローらは、自らの職業人生にとって最もリスクの高い大リーグにあえて身を移した。政治やビジネスと違って裏取引がなく、誰も責任を引き受けてはくれない、自分の才能と努力、闘魂だけがモノを言う世界だ。大衆が彼らの活躍に「可能性の夢」を託すのは健全な振る舞いであろう。

 ▼NYタイムズもタイガー・ウッズに入れ込む

 それは必ずしも日本だけの現象ではない。例えばタイガー・ウッズがマスターズ・トーナメントの優勝でメジャー四連勝を飾った時の米国マスコミ報道の熱狂ぶりはすごかったと伝えられる。スポーツ界の英雄像がいかに現代人の心をとらえるかの典型をみせた。

 「バーディーを賭けた十八フィート最後のパットを沈め、二位デュバルに二打差で勝利を決めた時、ウッズは帽子で顔を覆い、静かに泣いた。そしてようやく、ほっと吐息をもらした」冷静さで鳴るニューヨーク・タイムズ(四月九日)も、ウッズ讃歌の長文記事を、感情たっぷりに、こう書き始めたものだ。

 正直言って私自身は野球にしろゴルフにしろ、格別の関心はない。大リーグの日本選手が活躍すればうれしく思い、ウッズの超人ぶりに舌をまくだけだ。と同時に、いろいろな場所で出会った無名のすぐれた人びとのことを思い起こす。どのような職業世界にも、日々、地雷原のような危険多い道を刻苦のうちに踏破して社会に貢献している大衆の英雄がいることを見てきた。ウッズのように一億何千万円といった賞金と縁がないから、新聞記事にはならない。

 新聞、テレビがスポーツ界のめざましい出来事について詳しい情報を提供するのは結構なことだ。しかし、超大活字見出しを躍らせるスポーツ新聞はともかくとして、言論機関を自負する一般メディアは、アタマがさめていることを必要とする。内外の社会に起こるおびただしい出来事のうちのある部分にすぎないと、物事を相対化することが求められる。

 スポーツ英雄報道が、このうっとうしい世の中で国民の欲求不満のハケ口になってしまうことをおそれる。欲求不満の真の原因がどこにあるか、いっときにしろ追及のホコ先がにぶる結果を招いてはならない。

(和光大学教授)