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メディア月評

連載コラム
「メディア月評」
和光大学教授・伊藤光彦

【2】



内向き傾向がつのる日本マスコミ
実習船悲劇の日米交渉もミスリードを懸念

(2001年2月27日付)


 スイスにノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング(新チューリヒ新聞)というドイツ語日刊紙がある。人口規模の小さい国の新聞だから、発行部数は日本の地方紙なみにとどまるが、ヨーロッパ・ジャーナリズムの中での格式はとびきり高い。

 ▼見事な国際感覚はたらかすスイスの高級紙

 今から四十年も前のことだ。隣国ドイツ(当時の西独)は戦後初代の首相アデナウアーによって統治されていた。頑固な老政治家で、マスコミ嫌いを公言してはばからなかった。新聞を読まない。ただしスイスから半日遅れでボンの首相官邸に届く新チューリヒ新聞だけには、日課のように目を通していた。

 アデナウアー伝の一エピソードである。ドイツにだって、その頃から良質な新聞がいくつかあった。しかし老首相は「ドイツの新聞を読んでいても世界のことがわからない」と洩(も)らしていたそうだ。新チューリヒ紙の編集には、伝統的に見事なまでの国際感覚がはたらいている。フロント・ページ(一面)に自国スイスの政治や事件のニュースが載ることは稀(まれ)である。

 別建てで国内ニュース面があるから、手抜きしているわけではない。だが、フロント・ぺージは文字通り新聞の顔である。その顔づくりにあたり、この新聞は「スイスにとって」ではなく「世界にとって」何がその日のいちばん重要なニュースであるかを、編集の基準にした。

 スイスの内閣改造よりもドイツやフランスの政治動向がニュース価値ランクでしばしば上にくる。欧州市民にはあまり関係なさそうなインドネシアの国内混乱について、詳細な現地取材記事がトップで扱われる。国内政争などとは別の、いま一つの世界が地球上に展開されていることを教えてくれる。

 日本ではなじみ薄いスイス紙をこんなふうに紹介したのも、最近、日本のメディアの内向き傾向がますますつのっていると感じるからである。

 ▼テレビの国際報道がNY株価くらいな日本

 たとえばNHKテレビでは正午、午後七時、九時の(視聴率高い)ニュース放送を合わせると、一時間近くになる。ところがその番組の中で「国際報道」はニューヨーク市場のダウ平均株価くらい、といった日がある。BS1(衛星放送)の海外テレビニュースに接して「ああ、まだ世界は動いていたか」と安心する。(NHKに、すぐれた海外ドキュメンタリー番組があることは承知している)

 新聞については一月下旬からの一カ月間、読売、朝日、毎日三紙の一面を海外ニュースという側面からやや注意深く観察してみた。(各紙には内側ページに国際面があるが、ここでは触れない)米国でブッシュ政権が始動した直後に相当する。「外国で起きている事柄」に関する報道が、これほどフロント・ページから排除されてよいか、との疑問を持ち続けた。

 三紙に共通して見るべき一面報道があったのは、イスラエルのタカ派政治家シャロン氏の首相当選についての一件である。周知のように二月十日以後の日本の新聞には、宇和島水産高校実習船への米国原潜衝突事故の発生によって、ホノルルおよびワシントン発のニュースが急増した。克明に報道しなければならない悲惨事であることは無論である。

 だが、米国にとっては、自国の長期的な安全保障は他のあらゆることに優先する。良い悪いは別として、米国とはそういう国であることも外国人である私たちは知っておく必要がある。実習船悲劇に関する日米交渉もそのような米国認識を踏まえなければ、日本はたび重なる肩すかしを喫(きっ)するだろう。

 ふだんからマスコミが関心を外に強く向ける必要は、こういう時に実証される。国際関係についての国民の知識や判断材料を多角的に供給することは、報道メディアの基本的役割である。それがないと、国民感情は急に反米になったり、ナショナリスティックになったりする。

 ロシアについても中国についても、また、海面上昇のため沈もうとしている南太平洋の珊瑚礁群島キリバス共和国についても、私たちは大騒ぎが起こる前に、もっともっと知りたい。

(和光大学教授)