

(1999年5月22日付)
新聞・雑誌から、テレビやラジオ、インターネットまで、あらゆるメディアにつきもの の広告は、不可欠な収入源として定着している。広告主に紙面を貸し出した収入により、 安価で大量の部数を発行できる新聞がフランスに初めて登場したのは、一八三六年。
大衆に情報へのアクセス権を与えた画期的なシステムだが、報道の独立との不均衡(ふ きんこう)が、近年顕著(けんちょ)なものとなっている。
一九一八年の「ジャーナリストの義務憲章」、さらに一九七六年の「共同協約」は、記 事の形での特定の商品や企業の宣伝を明確に禁じているが、情報と広告の厳密な分離は、 机上の空論と化しているのが現状だ。
例えば、ある自動車メーカーの民営化に合わせ、その株式市場参入の報道のみならず、 企業イメージのアップを図った好意的な「特集記事」を組む経済誌。ある化粧品メーカー のモデルに選ばれた女優のインタビュー記事に、その企業名を何度も挿入する女性誌。比 較的広告の占める割合が少ない日刊紙さえ、「ライフスタイル」「旅」などの特別枠を設 け、限りなく記事に近い形で「広告臭」を抜く努力を惜しまない。
この曖昧さは、テレビでは一層顕著だ。広告主がプロデューサーと提携し、番組の着想 から製作まで企画に介入する「プログラミング」は、稀(まれ)な例ではない。まず番組 があって、スポンサーに後援を求めるのではなく、スポンサーを満足させるために番組が 製作される、本末転倒の状況である。
不況の波に真っ先にさらされるメディアにとって、広告収入の誘惑は抗(あらが)い難 い。
だからこそ、そのなかで独立を維持し得るメディアだけが結局は生き残ることを見抜く 慧眼(けいがん)を、受け手も養いたいものだ。
(三崎ロイヨ由美子・在仏ジャーナリスト)