

(1997年12月6日付)
【回数】47
【タイトル/キーワード】知
【紹介ホームページ】知の開放
【URL】http://www.wnn.or.jp/wnn-special/
【本文】
政権をとったヒトラーたちは徹底したメディア統制を行い、教育に深く介入した。なかでも象徴的なのは国語辞典の定義まで指定したことだ。
たとえば「知性」の意味を「本能とは区別された批判的で反逆的・破壊的な特性」に換えさせた。悪い意味でしか使えない言葉にしてしまったのだ。よい意味で用いると検閲で引っかかるし、教育現場では誤用だと抗議を受ける。
人びとが知的であろうとするのは権力者にとって都合の悪いことだからそうしたというだけでなく、かれらは本気でそう思っていたようだ。時代の雰囲気とは怖いものだ。
そしてこの雰囲気は九十年代の日本にもある。コツコツ勉強したり静かに考えたり真剣に議論したりすることをコバカにして、身体を動かすこと・熱狂すること・感情に身をゆだねることを奨励する空気。知的であろうとすることに何かてらいを感じる雰囲気。
しかし、知的でありたいと思う気持ちを抑えてはならないと思う。むしろ転換期の今こそ市民の知性が必要とされているのだ。
知の殿堂の方も変化しつつある。東大では創立百二十周年を記念して「知の開放」というイベントを開催している。インターネット上でも討論ライブを公開中である(http://www.wnn.or.jp/wnn-special/)。ポップな研究者たちの熱のこもった議論に参加することができる。
知の生産者にも危機感がある。だから「知の開放」なのだろう。本気で知的であろうとすると、学問の垣根さえ邪魔だ。
(野村一夫・法政大学兼任講師)