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中国メディア事情

泉 京鹿

【1】(2005年7月26日付)


生誕100周年、活気づく映画界

世界市場を意識し日本人俳優を起用


 「毎週火曜日は入場料を半額に」。観客動員と興行収入に伸び悩む現状を打開しようと、中国では今年6月に開催された上海映画祭から始まったこのアピールに、44都市・168カ所の映画館が呼応、その後、7月10日現在、385カ所に広がった。月末までには全国に約1300ある映画館のうち3分の1を超える映画館が実施に踏み切る見込みだ。

 これはまた、全国に氾濫する海賊版対策でもある。大都市では映画館の入場料は50元(一元=約14円)前後と決して安くない。新しいシネマコンプレックスでは80元というところもある。ハリウッド映画など海外作品の上映数は年間20本と制限されているため、欧米諸国の封切りとほぼリアルタイムの最新作が1枚5元〜10元程度の海賊版DVDに庶民が手を伸ばすのを止めるのは、至難の業だ。

 そんな中で踏み切られた「入場料半額デー」に人々はたちまち反応し、6、7月の火曜日の映画館は行列に。ふだんの100%増の入場者が見られる映画館も少なくないという。連日、気温が35度を超え、例年にも増してつらい暑さが続く7月の北京では、暑さを避けて涼む場所を求める人々にも歓迎されている。

 この15年で入場料は100倍以上になったが、1989年には約27億元に達した映画興行収入は2004年約15億元と半減。外国映画に比べいまひとつ人気のない国産映画の低迷のせいもある、とぼやく業界人たちの嘆く声が聞こえて久しい。

 そんな中国映画だが、今年、生誕100周年を迎え、にわかに活気づいている。

 近年、政策方面での開放に伴い、映画製作や映画館経営にも外資の投資が可能となり、ハリウッドの映画会社との提携も急速に進む。合弁会社で製作した作品であれば外国映画とはみなされず、中国国内での上映に制限を受けないため、中国を市場に見据えた海外の映画関係者は、躍起になって「中国映画」の製作を目指す。

 また、今年は後半から、国内外の市場を見据えた中国の話題作が続々と封切られる予定だ。

 この5月、カンヌ国際映画祭で初めて披露された陳凱歌監督の『無極(プロミス)』(日本では来年、公開予定)には、韓国からチャン・ドンゴン、日本からは真田広之が参加。クランクイン前から話題を呼び、既にアメリカの配給会社も決まっている。

 「ずっと心の中のアイドルだった」。中国で絶大な人気を誇る日本人俳優・高倉健を、張芸謀監督が『千里走単騎』に起用。世代を超えた中国のファンの心をときめかせる。

 「昭和の碁聖」の人生を描く田壮壮監督の『呉清源』には松坂慶子らが出演、長期にわたる日本国内での撮影が行われた。

 中国を代表する3人の監督が、ほぼ同時期に揃って主要キャストに日本人を起用していることは興味深い。北京電影学院の同期で、第5世代と呼ばれる3人。原色をタイトルに冠した『黄色い大地』(陳凱歌)、『紅いコーリャン』(張芸謀)、『青い凧』(田壮壮)で国際的な賞を獲得し、中国映画を世界に知らしめた功績を擁する彼らの、世界の市場を意識した映画に日本人は欠かせない存在であるということか。

 彼らに続く第6世代、30代でベルリン、ベネチア、カンヌと世界3大映画祭を制した賈樟柯監督作品『青の稲妻』(02年)、『世界』(05年)は、北野武のオフィス北野のプロデュースによるものである。

 100年前の1905年に作られた中国最初の映画の題材は、西太后のお気に入りだった名優・譚■<金の下に金2つ>培主演の京劇。ドイツ製の撮影機材を輸入して撮影したのは日本留学帰りの写真館オーナーだったという。

 100年の間、日本との縁も決して浅くなかった中国映画。注目する一日本人として興味は尽きない。(在北京フリーランスライター、翻訳家)

 いずみ・きょうか 1971年、東京生まれ。94年にフェリス女学院大学卒業後、北京大学に留学。博報堂北京事務所に勤務の後、フリーランスに。現在、北京を拠点にライターとしての活動のほか、翻訳など幅広く活躍している。主な訳書に『衛慧(ウェイフェイ)みたいにクレイジー』『ブッダと結婚』(ともに講談社)、『水煮 三国志』(JMAM)がある。