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(2000年6月6日付)
アフガニスタンの首都カブールにある国連宿舎では、イギリスBBCニュースの国 際版衛星放送を見ることができる。情勢が不安定なため、国連では職員が町を自由に 出歩くことを勧めていないため、BBCはカブールの国連スタッフにとって、数少な い情報源の一つであり、娯楽である。
ある日のニュースで、クリントン大統領や欧米指導者の何人かが相次いで演説する シーンが映った。それを見ていた職員の一人が「誰の演説も、まるで同じにしか聞こ えないな。パロディを見ているみたいに滑稽だ」と言った。
確かにそうだった。「子供たちのために」「より良い未来」といったキーワードを ちりばめた演説は、ここではどれも同じで、嘘くさく聞こえた。アフガニスタンのよ うな世界の果ての戦地から、覗(のぞ)き穴のように世界情勢を見ていると、たとえ ばクリントンの演説が、日本にいるときには気づかなかったリアリティを持って感じ られた。しかもそれは、アメリカの視聴者が感じるのと正反対のリアリティなのだっ た。
アフガニスタンにはいくつもの民族が住んでおり、一つの民族の中が、さらにいく つかの部族に分かれ、何百年間のライバルだったりする。これは、アジアの十字路に 位置する山岳地帯という、地理的要因からくると思われるが、北のロシアはAという 民族を、南のイギリス(英領インド)はBという部族を、西のイラン(ペルシャ)は Cという民族を「支援」するという名目で介入し、それぞれアフガニスタン全土を支 配することを狙う、という歴史が続いてきた。
ABCの組み合わせはしばしば変わり、たとえば一九八九年のソ連軍撤退後のよう に外からの圧力が減ると、今度はABCの人々が直接対決して内戦になる。(それと て、パキスタン政府の意志が働いていたが)
そんな歴史の中にいると、クリントンのような政治家の発言の裏にある意図が自然 と感じられる、ということらしかった。
国連職員の何人かと話をしたが、アフガニスタンに着任して間もない人は、タリバ ン政権の人権侵害について、欧米メディアとそっくり同じ批判をする傾向が強い一 方、二年三年と長く滞在している人ほど、タリバンやアフガン社会の構造に対して理 解が深まり、むしろ本来の人権問題とは別の意図を隠し持ってアフガン攻撃をする欧 米当局を批判する傾向がみられた。
アフガニスタンには今も、昔ながらの部族社会の人間関係が残っている。それは 「野蛮」などではなく、むしろ逆に、客人に対する質素だが礼儀を尽くしたもてなし だったり、黒沢映画の「七人の侍」のような義侠心であった。十六世紀ごろの戦国時 代の日本人は、今のアフガン人のような人々だったのではないか、とさえ感じられ た。アフガンゲリラとは、機関銃を持った「フーテンの寅さん」であるともいえた。
十六世紀の世界を考えると、現在の「人権」水準をクリアできる国などなかったは ずだ。アフガニスタンでは古代以来、外からの侵略で戦乱が頻発したがゆえに、歴史 の流速が外の世界と異なっていたと考えれば、事情を考慮しない「人権」批判が的外 れであることが分かる。
アフガニスタンは今も、外部の大帝国によって「便利な戦場」として使われてい る。アメリカは、かつては自ら支援していた「テロリストの親玉」、オサマ・ビンラ ディンがアフガニスタンに滞在しているという理由で「サダム・フセイン」「ミロシ ェビッチ」に代わる「自由の敵」としてタリバン政権を設定しようとしている。
ロシアでは、昨年秋に自作自演の「チェチェン人による爆弾テロ」を起こしたプー チン大統領が、戦争を広げるほど人気が高まるため、「タリバンがチェチェン人を軍 事支援している」と主張し、再びアフガニスタンを攻撃する構えを取っている。
アフガニスタンが平和になる日はまだ遠いのだろうが、それはアフガン人の意志に よるものではないのである。(ジャーナリスト)
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