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(2002年3月19日付)
ある日、息子が仕事に出たきり戻らなかった。しばらくして治安当局から、反革命の疑いで銃殺刑に処した、遺体を引き取りに来いとの通知がきた。被疑事実も訴追手続きも妥当だったのか知る由もなく、胸も潰(つぶ)れんばかりの思いで出向くと、銃殺に使った弾丸の費用を支払うよう命じられた――。
イランの首都テヘランの市民から、さして珍しくもない話だと聞いたのは10年も遡(さかのぼ)らない。あの重苦しい空気に、1997年に登場したハターミー(ハタミ)大統領は確実に風穴をあけた。
保守派抵抗勢力を前に極めて困難な内政の舵(かじ)を取りつつ、開放・自由化を推進。対外的には2001年を「国連文明間の対話年」とすることを提唱(98年)、イスラーム諸国はむろんロシアや西欧とも関係改善をはかり、米国とさえその機運をもたらした。
各国に移民したイラン人に祖国の政情を尋ねても、嘆息を交えるか全面的に避けたがるのが普通だが、ハターミー大統領だけは積極的に評価する。そういう例をずいぶん見てきた。
ところがここへブッシュ米大統領の「悪の枢軸」発言だ。これが利すのはイラン保守派にほかならない。ムスリム(イスラーム教徒)知識人層から荒唐無稽(こうとうむけい)と嘲笑(ちょうしょう)されるハンチントン『文明の衝突』(96年)にしてもそうだが「世界の緊張を不必要に煽(あお)る張本人は米国ではないか」という批判がアジアには広くある。わけても現在、イランから突きつけられて当然だ。
(関口千恵・ジャーナリスト)