【Seikyo Media Page】Copyright (C) 1997-2002 by The Seikyo Shimbun.



アジアの潮流

連載コラム
「アジアの潮流」

【4】


カシミール紛争−−現地住民たちの実感

(2002年3月5日付)

 同時多発テロ事件を最も脅威に感じた人々の中に、インド・パキスタン間で最大の紛争要因である(インド側の)ジャンムー・カシミール州民が含まれることは間違いない。軍事一本槍(いっぽんやり)の強攻姿勢を展開した米国の後追いで精いっぱいの日本のメディアから欠落していたのが、カシミール情勢の悪化だ。それは9・11直後から明らかだったのだが。

 カシミール現代史を語る上でカシミール人が必ず挙げるのが、1989年である。インド国軍と分離派ゲリラの戦闘が激化し始めた年だ。10年以上前から聞き書きしているカシミール人ムスリム(イスラーム教徒)の、最大公約数的な声を紹介する。

 「あの89年、数十万人規模の国軍が駐留してきて治安立法が施行された。以来、ムスリム住民を見境なく逮捕したり拷問(ごうもん)にかけたりする。分離派は分離派でヒンズー教徒住民を攻撃する。どちらも自分が正しいと言うが、これだけ長年混乱が続くと訳がわからない」

 一気に緊張が高まった89年とは、旧ソ連がアフガニスタンから撤退した年だ。それまでアフガニスタンのムジャヒディンと共闘していた他国からの義勇兵、特にアラブ・アフガンズの一部はカシミールの分離派ゲリラに流れ込んだ。

 「独立運動といえば聞こえはいいけれども、派手な武装闘争をやってる連中は中東などから来たよそ者です。『南アジアのスイス』といわれたほどの故郷をずたずたにしたのは彼らも国軍も同じ。親しくしてきた近隣の異教徒をかばえば裏切り者呼ばわりだし」

 宗教紛争ではない、ということだ。「インドもゲリラもその後ろのパキスタンも、直ちに戦闘をやめてほしい。この地を政治の道具にして住民を傷つけることはもうやめてほしい。『いっそどちらにも帰属せずカシミールだけで独立したほうが』と言う人も多いんです。けれど口に出したくても出せない。それが苦しい」

(関口千恵・ジャーナリスト)