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アジアの潮流

連載コラム
「アジアの潮流」

【4】


国際都市・上海の変化と不変に思う

(2001年2月20日付)


 19年ぶりに中国・上海を訪れた。経済規模は10年前の14倍にも達する。地元の知人でさえ道に迷うほど、新しい道路が忽然と姿を現す。「3カ月も上海を離れるとお上りさん」とは知人の慨嘆だ。

 19年前、市内で最も豪奢な建築物は、第2次世界大戦前に旧租界地に建てられたイギリスやフランスのものだけだった。黄浦江を挟んで、その向こう岸は見渡す限りの農村だったはずだ。だが、いまやそこには世界3位の88階建て超高層ビルをはじめ、香港と見まがう高層ビル群が立ち並ぶ。日系企業の進出も活発な浦東新区である。

 知人の名は黄さん。文化大革命の辛酸をなめつつ、苦労して蓄えた資産は4つのマンションと自家用車2台。近くの市場で日本の十分の一ほどの価格で新鮮な野菜や魚を選り分け、自ら厨房に立つ。

 驚いたのは、黄さんは全くの無償で、ある難病を患う日本人の面倒を見ている。自宅の1室を改装し、足の不自由なその日本人のために、汗を拭いながらの1時間に及ぶマッサージを施す。利害関係は全くない。ただ、黄さんの友人の知人という関係だ。

 そんな黄さんの後ろ姿が、20年前に北京で偶然出会った教授と二重写しになった。「互相学習」(中国語と日本語をお互いに教え合おう)とは名ばかりで、週に3、4日と歓待してくれた恩人だ。

 豊かさとは無関係だろう。現に、黄さんも貧しい時代から損得抜きで「客人」に尽くしてきた。そういえば、まだ国が富んでいないときにも、中国はさらに貧しい国々への援助を惜しまなかった。国際都市・上海の外見は大変貌したが、人々の心のうちには、困っている人に手を貸す「客人の精神」は息づいている。

 (西田実仁・ジャーナリスト)