
(2000年6月27日付)
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信平狂言手記(96年2月、『週刊新潮』)をスクープ賞にしたお粗末 真実でないことが判明した時の対応こそ重要 |
新聞は、十九世紀の欧米で急速な発展を遂げたが、なかでもアメリカでは、十九世 紀末にウイリアム・ランドルフ・ハーストの『ニューヨーク・ジャーナル』と、ジョ セフ・ピューリツァーの『ニューヨーク・ワールド』が熾烈(しれつ)な販売合戦を 繰り広げた。
競争が激しくなると、少しでも他社を出し抜き、自社でしか伝達し得ないような情 報を売りにしようとする心理が当然働く。「スクープ合戦」である。スクープは、調 査報道によって、他社が探り得なかった事実とその背景を探り当て、そのスクープが なければ起きなかったような、大きな社会の地殻変動を起こす起爆剤ともなるが、一 方で、他社に先駆けて事実を探り当てようとするあまり、公然と人権侵害をしたり、 事実確認を怠った過熱報道に陥る危険性もある。
ジョセフ・ピューリツァーが、このような熾烈な販売合戦、スクープ合戦に勝ち抜 いていくかたわらで、伝達する情報の質の向上にも意を用い、大学レベルでのジャー ナリストの訓練を最初に行ったり、優れたジャーナリズム活動に贈る「ピューリツァ ー賞」を創設したのは、こういった熾烈なスクープ合戦の中にも、ジャーナリズムの 質的向上を願っていたことがうかがわれる。
一九一七年に創設された「ピューリツァー賞」は、文学、戯曲、音楽の分野まで、 二十一の部門に賞を設けているが、そのうち十四部門がジャーナリズム分野である。 ウォーターゲート事件の調査報道の受賞が有名だが、日本人ではカメラマンの沢田教 一氏が六六年に、ベトナムのクイニョン川を爆撃を避けて老女と子供と渡る母親の写 真によって、報道写真部門でこの賞を受賞している。
さまざまな議論はあるものの、こういった賞が、ジャーナリズムの健全な発展に一 つの大きな役割を果たしていることは否めない。
日本でも、ジャーナリズムの分野でいくつかの賞が設けられている。新聞では日本 新聞協会の「新聞協会賞」、放送では日本民間放送連盟の「日本民間放送連盟賞」な どが名高い。ここでも、例えば一九七一年の新聞協会賞に「中国、米卓球チームを招 待」スクープで共同通信の世界卓球取材班が選ばれるなど、優れたスクープに賞が与 えられている。
雑誌では、雑誌掲載の企画や記事を対象に、雑誌を舞台に活躍する書き手を顕彰す る「雑誌ジャーナリズム賞」が一九九五年から設けられ、前の年に掲載された作品を 対象に、編集者の投票によって、スクープ賞週刊誌部門、スクープ賞月刊誌部門、作 品賞、企画賞、写真賞の五部門で毎年表彰が行われている。ちなみに、今年のスクー プ賞週刊誌部門は『週刊文春』に連載された「息子『少年A』父と母の手記」、月刊 誌部門は『噂の真相』による「則定衛高検検事長のスキャンダル」であった。
ところで、第三回雑誌ジャーナリズム賞(一九九七年)では、九六年二月の『週刊 新潮』に掲載された女性の手記を、スクープ賞週刊誌部門に選んでいる。
しかし、この手記に端を発して、損害賠償請求を提起した裁判については、今年の 五月三十日に判決が言い渡され、「本件訴えは、その提起が原告の実体的権利の実現 ないし紛争の解決を真摯に目的とするものではなく、被告に応訴の負担その他の不利 益を被らせることを目的とし、かつ、原告の主張する権利が事実的根拠を欠き、権利 保護の必要性が乏しいものであり、このことから、民事訴訟制度の趣旨・目的に照ら して著しく相当性を欠き、信義に反するものと認めざるを得ない」「このまま本件の 審理を続けることは被告にとって酷であるばかりでなく、かえって原告の不当な企て に裁判所が加担する結果になりかねない」と、原告の訴えが完全に却下された。
雑誌ジャーナリズム賞のスクープ賞週刊誌部門を受賞したその記事自体が、虚偽の ものであることを裁判所が認めたことになる。ウォーターゲート事件やリクルート事 件の調査報道スクープと比較すると、あまりにも大きい落差だ。
「スクープ」と「誤報」「虚報」、そして大向こう受けを狙うあまりの人権侵害 は、裏表の関係にある。スクープ写真のように、事実をそのまま切り取ってきたよう なものと異なり、記事の場合は、賞を付与するにあたって、その事実認定を一から十 まで細かくチェックすることは難しいだろう。だが、このような形で、裁判所の手で 記事が虚偽であることが明らかになった場合には、審査し、賞を出した責任という観 点からも、当該の記事が事実無根であったことを、何らかの形で明らかにする必要が あろう。
雑誌ジャーナリズムの現場にいる編集者有志の手で、雑誌ジャーナリズムの発展に 寄与したいとの思いで生まれた雑誌ジャーナリズム賞。ピューリツァー賞のように、 それが真に多くの人たちに受け入れられるようになるためには、記事が少なくとも真 実であって、賞を与えるに足るものであるというジャーナリズムの基本ともいうべき 判断がなければならないし、それが真実ではないと判明したときの姿勢も、同じよう に問われているのではないだろうか。(明治学院大学教授)
略歴かわかみ・かずひさ 1957年東京生まれ。東京大学卒。同大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。東海大学助教授を経て現職。専門は社会心理学・コミュニケーション論。著書に『情報操作のトリック――その歴史と方法』『メディアの進化と権力』など。