Current Directory is http://www.seikyo.org/【Seikyo Media Page】Copyright (C) 1997-2000 by The Seikyo Shimbun.



寄稿論文

メディアのページ


対談・少年犯罪と実名報道
前野育三・関西学院大学教授/木村哲也・弁護士

(2000年3月14日付)


『新潮45』に関する大阪高裁判決を巡って

少年法、報道被害への認識がきわめて希薄




 3人が死傷した1998年の大阪府堺市の事件――。当時19歳だった男性被告 (一審・懲役18年)が少年法に反して月刊誌『新潮45』に実名と写真を掲載され たとして、発行元の新潮社側に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が2月29日あっ た。大阪高裁は、同社側に250万円の賠償を命じた地裁判決を取り消した。ここで は、少年法に詳しい前野育三・関西学院大学教授と原告男性弁護団の木村哲也弁護士 に同判決について語り合ってもらった。

高裁判決の問題点

 前野 少年法第六一条に罰則はない。少年法の精神が生かされるかどうかは、報道 側の意識にかかっている。憲法二一条にうたわれる「言論の自由」についても、国民 の「知る権利」に応える必要から論じられるもので、決して無制限な自由ではない。 まして報道被害が著しく増加している昨今、あくまで他の権利と調整されるべき自由 という点を銘記すべきだ。高裁判決は、まるで六一条が違憲のような印象を与える が、これは困った事態だ。

 木村 憲法論的に言っても十年は古い判決と思う。少年法六一条の適用に関して、 これまで通説・判例はなかったと考えてよい。確かに公共の利害に関する事実につい ての報道は、違法性がないとされる場合があるが、単に公益目的があるか否かだけで なく、表現内容の相当性やほかの要素も絡めて見ていくのが通例だ。新聞協会の規定 に「逃走中で、さらに危害を及ぼす可能性のあるもの」については適用されないとい う例外がある。しかし、今事例はこれに当たらない。何を書こうと、ほとんどの場 合、書いた方が正しくなってしまう。マスコミの“書き得”を許しただけだ。

 前野 今判決では、社会的な注目を集めた重大な事件については、少年のプライバ シーの権利、将来に向けて立ち直るであろう成長発達の権利よりも、「報道の自由」 が優先するということになる。重大な事件であるほど、少年の将来に与える影響もま た大きい。日本において、犯罪を犯した少年が成人の常習累犯者につながることは非 常に少ない。これは教育・保護に重きを置いた「少年法」が有効に機能している証拠 である。判決は、少年法に対する無理解の表れでもある。

 木村 判決文には「地域の住民はもともと少年を知っているのだから、報道しても 少年の更生に影響はないだろう」という乱暴な記述もある。実名報道の影響を過小に 見たものと言わざるを得ない。具体的なことは、報道によって知らされることが多 い。人権と報道の観点から考えても、報道被害に対する認識がきわめて希薄だと言え るだろう。

地裁判決と比較して

 木村 高裁判決は“少年犯罪の実名報道を禁じた少年法六一条と憲法の「表現の自 由」を巡る初の司法判断”との報道もあるが誤解だ。

 地裁判決は、少年法六一条の解釈から憲法には違反しないということを前提として いる。憲法判断は、むしろ地裁判決の方で行われていて、控訴審ではきちんとした吟 味が行われていないという理解が正しい。

 前野 地裁判決は、憲法二一条と少年法六一条の間に問題がないという立場だ。明 示はされていないが、実はそこにこそ「問題はない」という一つの判断が示されてい たわけだ。この意味でも高裁判決が“初の司法判断”とは少なくとも言えない。内容 からも、地裁判決の方が深い。

 木村 一部に、高裁判決は国民の感情に応えたものという論評もある。「重大な事 件を起こした少年が、多額の賠償金を受けるのはおかしい」とするものだ。一見、分 かりやすいようだが、逆の意見もある。

 前野 “国民感情”は、決して一つにはくくれない。確かに、重大な少年犯罪が起 これば、「少年法は甘い」という論議が必ず起こる。しかし、それをあたかも“国民 感情”の主流のようにとらえるのは危険だ。

 きわめて表面的な感情であり、底流は大きく変化しないものだ。報道する側は、こ こにもっと注目しなければいけない。

今後のマスコミ界の課題

 前野 新潮社の報道姿勢は「他のマスコミは怖がってできないが、おれなら法律違 反をやれる」といわんばかりだ。まるで凶悪犯罪を犯した少年の心理と同じではない か。放っておけば、今回の判決の影響は広がっていくだろう。高裁判決を制限的に理 解する努力が必要だ。影響を極力小さなものにしていかねばならない。

 木村 異例のことだが大阪弁護士会会長の声明が出た。すなわち、高裁判決の「社 会的関心という曖昧な理由による報道の正当性を認める判断」を「少年法の趣旨を没 却するものといわざるを得ず、到底承服することはできない」とするものだ。高裁判 決によって「報道機関が興味本位、営利主義に流れ、氏名や顔写真を公表する」こと に重大な懸念を表明している。

 前野 マスコミには、真に国民の「正当な関心」に応える報道をしてもらいたい。 社会の注目を浴びるような事件に対しても、事件の起こった背景、特質、今後の教訓 に生かせるような事柄だ。今の報道は単なる「野次馬的な関心」におもねっているに 過ぎない。

 木村 この事件の刑事裁判に関する報道では、裁判所が「心神耗弱を認める」と 「心神喪失を認めず」の二通りの見出しを立てたものがあった。両者はともに“事 実”だが、どのような立場から見ているかを端的に表すものではないだろうか。捜査 や刑事上の適正な手続きがなされているかチェックするのが本来のメディアの役割だ ろう。自分たちは安全なところにいて、加害者・被害者の両方に酷な報道なら、やら ない方がましだ。

 前野 また口には出さないが、マスコミは自分たちに“社会的制裁機能”があるよ うな思い違いの体質がある。新潮社のような“常習犯”的なメディアは「実名公表は 被害者に対する慰藉(いぜき)の手段だ」と強弁する。しかし、被害者側のプライバ シーを容赦なく傷つける報道被害は拡大するばかりだ。高裁判決を契機にメディアの 暴走が助長され、被害者・加害者双方の人権侵害を激化させるのではないか。最高裁 の公正な判断を期待したい。


<高裁判決の要旨>

 根本真裁判長は「社会的に正当な関心事で、表現内容、方法が不当でない場合、実 名報道は違法性を欠き、プライバシーなどの侵害とはならない」とし、更に「少年法 六一条は『保護されるべき事情』に当たるとしても、同条は非行からの更生など政治 政策的配慮に根ざす規定であり、罪を犯した少年に実名で報道されない権利を与えた ものではない」との判断を示した。

 その上で、事件の悪質重大さからみて「社会の正当な関心事」と認めるとし、顔写 真や実名の掲載についても「少年法に違反するが、表現は不当とは言えず、地域住民 が男性の実名を知っているとみられるなど、報道で更生を妨げたとは考えられない。 権利侵害はなく、男性に損害賠償は認められない」と結論づけた。

<少年法61条>

 家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された 者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人で あることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載 してはならない。


略歴

 まえの・いくぞう 1937年生まれ。関西学院大学法学部教授。専門は刑事政 策。少年法の比較法的研究にも取り組む。著書に『刑事政策と治安政策』『日本の監 獄と人権』『刑事政策論』『少年司法と適正手続』(共著)。日本犯罪社会学会理 事。日本法社会学会監事。「人権と報道関西の会」代表世話人。

 きむら・てつや 1956年生まれ。関西大学卒。弁護士。83年、大阪弁護士会 に登録。「プライバシー問題研究会」代表として、報道被害等の問題に取り組む。姫 路獨協大法学部講師(情報と法)。「人権と報道関西の会」事務局長。


対談を傍聴して 「逆転勝訴」で一致した各紙への疑問

 少年法を逸脱した新潮社の報道は今件の『新潮45』に限ったことではない。神戸 の児童連続殺傷事件や山口県の母子殺害事件など、『週刊新潮』『フォーカス』誌上 で“常習犯”である。こうした報道姿勢に対して、大方のマスコミは眉をひそめてい たはずだ。にもかかわらず、判決翌日の新聞各紙には「新潮社が逆転勝訴」との見出 しが多かった。なぜ「原告側が逆転敗訴」ではないのか――。“無意識”に「報道の 自由」の受益者として足並みを揃えたのだろうか。報道側と市民の人権のはざまに深 い溝があることを垣間(かいま)見た思いだ。(木村隆志記者)