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寄稿論文

メディアのページ


対談:「安心報道」と「生きる力」

林 英夫
サンテレビ報道制作局

東 晋平
フリー・ジャーナリスト

(2000年2月29日付)




震災と神戸事件に立ち会って

被害者を「見せ物」にする姿勢に憤り



 阪神・淡路大震災と神戸市須磨区で起きた児童連続殺傷事件の報道では、被災者・ 被害者や地域住民から厳しいメディア批判がわき上がった。ここでは、先ごろ『安心 報道』と題する問題提起の書を上梓した地元サンテレビのキャスター林英夫氏と、児 童殺傷事件の被害者の一人、山下彩花ちゃんの母の手記を企画構成した東晋平氏に報 道論を語り合ってもらった。

東京集中の編成が生んだ現場との「隔絶感」

 東 『安心報道』の執筆を思い立たれたのは、いつ頃からですか。

 林 やはり阪神・淡路大震災からですね。自分たち自身も被災した、その被災地の メディアとして、報道とは何かということを根本的に考えさせられました。

 東 全国ネットの震災報道の多くは、被災者の側からすれば「見せ物」にされてい るという苛立(いらだ)ちを覚えるものだったと、林さんは指摘されています。

 林 まず問題だったのは、ヘリ取材の集中です。震災直後のヘリ映像は「こんな大 変なことが起きた」と全国に伝える役割を果たしましたが、それは表面的なイメージ を与えただけです。

 東 実際は、上空を旋回する何機ものヘリの轟音(ごうおん)が被災者に大きな恐 怖感を与えていたこと、轟音のために、生き埋めになった人々の救いを求める声がか き消されていたことなど、中継を見ている側には想像もできていないわけです。

 林 避難所でも無遠慮な取材が続きました。これも「被災者は大変だ」というイメ ージを伝えるだけで、「大変だ、大変だ」の繰り返しに過ぎません。

 東 その後の須磨事件でも感じたことですが、人々はメディアを通じてすべてを理 解している錯覚に陥ります。当然ながら、メディアが犯している問題や、報道から排 除された部分は知るよしもないままです。

 林 この現場とメディアの「温度差」、被災者が感じた「隔絶感」。しかし、感情 論を言っても解決にはならない。ここにはメディアの東京集中の問題があると思いま す。サンテレビは独立した地域局で、いわゆる全国ネットに組み込まれた局ではあり ません。震災報道はネットの大阪局から東京局を通じて全国に発信されていきまし た。被災地の惨状を外に伝える役目は果たしても、被災者が求めている情報はない。 ああいう災害時には、大胆に一部の権限を地元局に移譲してでも、まず被災者の側に 立った報道が必要なはずです。

 東 当初、被災者は命をつなぎ止めるための「情報というライフライン」をも切断 されていた。林さんが報道する側の人間として、しかも地域局の立場から報道のあり 方に問題提起されたことは、二重に意義ある快挙だったと思います。

 林 須磨の事件では、サンテレビは「現場に中継車は出さない」「子供たちにイン タビューしない」「被害者に行き過ぎた取材はしない」といった方針を決めました。 震災を経験して、メディアも地域の一員であるという考え方が、現場も含めて生まれ ていたのです。

 東 事件直後に「内容はおもしろくなくてもいい。ショーアップしてはならない」 という社長通達があったそうですね。

 林 被害者への取材をあえて控えたうちの社の姿勢に対し、後日、事情を知られた 山下京子さん(事件で亡くなった山下彩花ちゃんの母)から感謝のお電話をいただき ました。

「絶望を希望に変える」作業こそ肝心

 東 じつは、山下さんの手記の出版は、報道被害の実態を被害者の側から訴えるこ とも大きな動機となっていました。結果的に主題となった「生と死」への深い思索 は、むしろ作業にかかってから紡(つむ)ぎ出されたものだったのです。

 林 それにしても「絶望を希望に変える」という山下さんと東さんの思いは素晴ら しい。ジャーナリストの根本の信念でなければならないと思います。

 東 実際には、あまりにも逆のことが多い。あえて「悲劇」を演出し、攻撃する対 象を作り出し、社会に人間への不信感を増幅しているだけです。庶民、民衆というも のには本来、絶望から希望を生み出していく「生きる力」があります。

 林 震災は、そのことを教えてくれたはずです。

 東 ところが、報道に携わる者自身がエリート化し「民衆」を見下げていくと、そ こが見えなくなる。「悲惨」や「悲劇」に仕立てなければ売れないと思い込み、そう した報道が人々の「生きる力」を奪っていくことに気がつかないのです。

 林 むしろ、私たちはあの震災を通し、報道の仕事とは「人間の尊厳」を共に見つ け出す作業だと再認識できました。残念ながら、「須磨」でも企業ジャーナリストた ちは横並びで特ダネを追い、特オチを恐れるだけで、肝心の被害者からは拒絶されて しまった。

 東 事件を通し、多くの新聞やテレビの人々と接しましたが、なぜこんなにも「傲 慢(ごうまん)な善人」が多いのかというのが率直な印象です。個々人はたしかに善 人です。優秀でもある。でも、驚くほど想像力の乏しい幼稚な秀才が多すぎました。 人の悲しみを理解しない冷徹(れいてつ)さがプロ意識だとでも錯覚しているんでし ょうか。

 林 そういう人間が作り出す「メディア劇場」は、社会学者のE・フロムの言葉を 借りれば、見ている者から「深い情緒的体験に伴う喜びや悲しみを感じる能力」を奪 っていきます。

 東 林さんは、フロムの『希望の革命』(紀伊国屋書店)の「紀元二〇〇〇年とい う年は、人間が自由と幸福を求めて努力した時代がめでたく終りを告げ幸福の頂点に 達する年ではなく、人間が人間であることをやめ、思考も感情も持たない機械に変わ ってしまう時代の始まりであるかもしれない」という言葉を、タイムリーに引用され ました。

 林 三十年も前の学生時代に親しんだ書物でしたが、いざ二〇〇〇年を迎えてみる と、メディアも含め「より多く生産し、より多く消費する以外に何の目標も持たな い」社会になっているのではないかと感じます。

 東 たしかに、何の意味もない生中継のオンパレードが、人々をますます受け身に させ、何が「重要」な話題なのかを一方的にメディアに決められたまま、社会をすべ て把握したような錯覚に陥らせています。

 林 大事なことは、みんながメディアを読み解く力(メディア・リテラシー)を身 につけていくことです。テレビの報道をじいっと受け身的に受け入れない。常に「ツ ッコミ」を入れる気持ちでテレビと向き合うことなんです。「そんなわけないやろ」 「いい加減にしなさい!」と(笑い)。

 東 ところで、インターネットの普及が、一人一人にミニ報道機関の能力を持たせ る時代となってきましたね。

 林 マス・メディアは企業ですから、ある程度のチェックは働きますが、個人とな るとそれは望めません。時代の「過渡期」であるいまだからこそ、報道のあり方を徹 底的に市民自身が考えておく必要があります。

 東 その意味でも、事件や災害をめぐる「安心報道」という発想は、時代の急所を ついたものです。苦しんでいる当事者たちに「安心」を与え、見守っている社会には 的確に知恵を促していく。断固として「希望」を創り出していこうというジャーナリ スト自身のまなざしが、人々の内なる「生きる力」を汲み出していくと思うのです。

 林 同時に、メディアといっても主人公は市民なのです。人々が自分が主権者なの だという意識を強くしていくことが、メディアと社会を変えていくのです。



略歴  はやし・ひでお 1949年大阪府生まれ。関西学院大学卒。日本マスコミ学会会 員。サンテレビ報道制作局勤務。本年1月に出版された『安心報道』(集英社新書) は、自ら地元のニュース番組のキャスターとしてかかわった、阪神・淡路大震災、須 磨の連続児童殺傷事件をめぐって、メディアのあり方を真摯に問い直した力作として 評価が高い。いまも繰り返される全国ネットの〈報道合戦〉の是非を問い、「安心」 のための報道と「メディア・リテラシー」の重要性を、地域報道の立場から提起す る。

 ひがし・しんぺい 1963年兵庫県生まれ。駒澤大学卒。フリー・ジャーナリス ト。神戸連続児童殺傷事件に際し、被害者の一人山下彩花ちゃんの母・京子さんの手 記『彩花へ―「生きる力」をありがとう』(河出書房新社)を企画構成、ベストセラ ーに。続編の『彩花へ、ふたたび―あなたがいてくれるから』(同)では、山下さん と交わした「生と死」をめぐる対話の軌跡を自ら執筆した。2冊の手記は、被害者の 側が社会に希望を発信した希少な例として、大きな反響を呼んでいる。


対談を傍聴して 人間のためのメディアとは

 今対談は、大地震の被災者と殺人事件で最愛の我が子を失った遺族の、慟哭(どう こく)と再起に立ち会ってきた二人のジャーナリストのエールの交換である。キーワ ードは「安心」と「生きる力」。一時間の予定で始まった対談は、初対面にもかかわ らず“十年の知己”のような親しみを感じさせ、倍以上の時間が経過しても互いに話 の尽きることがなかった。  かつて「飢えた子どもたちに文学は何ができるか」と問いかけた哲学者(J・P・ サルトル)がいた。ここで、「文学」を「報道」に言い換えた場合、一つの回答が 「安心」と「生きる力」であろう。行き過ぎた商業主義とセンセーショナリズムが生 み出す「報道被害」によって、市民の支持を失いつつある今日のマスコミ界に両氏の 問いかけは重い。(野山智章記者)