
(2000年2月22日付)
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20世紀でもっとも重要な100人に選ばれた男の功罪 筋を通す強さ「インテグリティ」で尊敬集める |
一人の記者にすぎなかったエド・マローは死後三十五年になる今日でも「放送の良 心」「放送ジャーナリズムの父」としてアメリカ人の心に生き続けているヒーローで ある。その伝説化した人気は一九九四年に彼の肖像がジャーナリストとしては初の記 念切手となってアメリカで発行されたことを見ても想像できよう。ライフ誌は「二十 世紀で最も重要な百人のアメリカ人」という特集で新聞、放送を含めたジャーナリス トの中からただ一人マローを選んでいる。
第二次世界大戦中CBSのヨーロッパ駐在員だったマローは、ナチスによるロンド ン大空襲の実況放送など新鮮で迫力あるリポートでアメリカの聴取者を魅了し、ラジ オに釘付けにした。戦後のテレビ時代には、マッカーシズムと対決した放送史に残る 金字塔といわれる番組をはじめ、あらゆる可能性を先取りしたドキュメンタリーの名 作・力作を次々と発表した。生涯五千回に及ぶ放送を通じて放送ジャーナリストの先 駆者として活躍したマローは、やがて経営陣と対立して孤立した末に放送界を去り、 五十七歳の若さで失意の死を遂げた。
マローの周りにはアメリカの夢と放送の使命を信じて彼を支え続けた「マロー・ボ ーイズ」と呼ばれた才能豊かな記者集団がいた。マローとボーイズの物語は「ラジ オ・テレビ黄金時代」における栄光と屈辱の軌跡である。彼らは放送ジャーナリズム の原点であると同時に、今日の放送ジャーナリズムが抱える諸問題の生みの親でもあ る。報道が商業放送の「金の生(な)る木」になるにつれ、スターとなり、名声を欲 しいままにし、大金を稼いだ彼らは、放送ジャーナリズムの腐敗堕落の種をまいてい たのだ。
見方によっては功罪相半ばすると言われるマローが、死後もなおヒーローとして 人々の心に生き続けているのは、彼の生涯がアメリカの夢を絵に描いたような波瀾万 丈のドラマに満ちていただけではない。もっと大事なのは、一市民としての節操を守 り続けたマローのインテグリティに人々が感銘を受け、そこにロマンを感じるから だ。
このインテグリティという英語は、どうも簡単には日本語に置き換えることができ ない厄介な言葉だ。哲学者の鶴見俊輔氏は「どういうばらばらなものがあっても、自 分は変わらない。それは自分の中に消化され、ひとつのまとまりになっていく」の意 であると説明した上で、アイデンティティは定着したのに、この言葉が流行(はや) らないのは日本文化の欠落であると論じている(『中央公論』平成十一年五月号)。 興味深い指摘だが、これでもよく分からないと感じる読者も少なくあるまい。
オックスフォード英語大辞典(OED)によれば、インテグリティはフランス語経 由で十六世紀に英語に入った言葉で、古くは欽定(きんてい)訳聖書にも登場する。 箴言(しんげん)十九章に「貧乏でもインテグリティの道を歩む人は、唇の曲がった 愚か者よりも幸いだ」とある。また筆者の研究によると、この言葉はシェイクスピア の十の戯曲に登場し、十数カ所の使用例が確認できる。その時代から現代までの用例 を概観すると次のようなことが分かってくる。
インテグリティとは、いかなる権力や圧力にも諂(へつら)わず屈しない道義心の 堅固さ、この人ならばと人格的に全幅の信頼を集める内面的な強靱さ、したたかさ、 行動力と実績を意味する。
これは道義的原理や責務に忠実であることを意味する名誉や体面(オーナー)とも 少々違うし、虚偽や欺瞞(ぎまん)がないことを意味する正直さ(オネスティ)だけ ではないし、私欲や一切のやましさがないことを示す誠意(シンセリティ)とも同じ ではない。
それらの要素をすべて包括する幅広い含みを持つ言葉なのだ。だから、インテグリ ティがあると言えば最高の褒(ほ)め言葉になるし、逆にインテグリティを喪失した といえば、それは人格の全否定になる。インテグリティを失うことは、特に公人の場 合はまさに致命的だ。現にウォーターゲート事件のニクソン大統領やモニカ・ルイン スキー事件のクリントン大統領に対して引導を渡すキー・ワードとしてマスコミの論 調にはこの言葉が頻繁(ひんぱん)に登場した。
インテグリティには決定的な日本語の訳語はない。それぞれの文脈により、さまざ まな言葉が使われている。高潔、廉直、廉潔、清廉、気骨、真心、大勇、至誠、忠 義、忠誠、至誠、至直、剛直、律儀、潔白など。訳者の苦労が痛いほど伝わってく る。そのすべてをかみしめた上で、筆者はインテグリティという英語を日本語では節 操、矜持(きょうじ)、あるいは筋を通す強さと表現することが多い。
権力との対峙(たいじ)や逆境の試練に耐え、難局を乗り切るしたかかさと風雪に 耐えた実績によって得られる人間の信用と尊敬を込めたつもりだが、これでも決して 十分だとは思っていない。しかし、長年にわたり私淑したエド・マローとその弟子た ちの生涯を思う時、彼らのインテグリティを説明する日本語としては「筋を通す強 さ」も悪くないと思っているのは事実だ。もっと良い言葉をご存じの読者があればぜ ひご教示下さるようお願いする。
差し迫るメディア・ビッグバンに浮き足立ち、ともすれば技術や経営の問題に目を 奪われがちな議論が横行する今日、しばし立ち止まり、あえてジャーナリズムの原点 とその根源にあるインテグリティの重みに思いを致すのも決して無駄ではないと思 う。(東海大学教授)
略歴 たそがわ・ひろし 1934年東京生まれ。早稲田大学第一文学部英文科卒業。N HK記者を経て、現在、東海大学外国語教育センター教授。著書に『ニュースキャス ター〜エド・マローが報道した現代史〜』ほか。訳書に『地球/母なる星』『第一次 地球革命』『国際援助の限界』『マロー・ボーイズ〜放送ジャーナリストたちの栄光 と屈辱〜』ほか。