
(1999年12月4日付)
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国民に“政治への関心”高める演出効果……英国 「予算委員会の縮小版」の恐れも …… 日本 |
先月、日本の国会で「党首討論」が二回試行された。国会活性化のひとつとして、 次期国会からは定例化される。周知の通り、そのモデルとなっているのは、英国議会 での首相へのクエスチョンタイムである。この小文では、英国議会での討論の制度や 雰囲気を紹介し、これからの国会での討論のあり方を探ってみたい。
まず、日本語にそのまま訳されている「クエスチョンタイム」とは、首相への質問 時間だけを指すものではない。下院の議事日程として、月曜から木曜まで、毎日一時 間ずつクエスチョンタイムの時間が設けられ、省庁ごとに時間が割り当てられてい る。
詳細は省くが、閣僚は少なくとも月に一度は質問に晒(さら)され、その中で力を つけていく。日本でも、政府委員制度の廃止により閣僚等の答弁が増加することにな っているが、それが成熟し、同様の機能と効果をもたらすことを期待したい。
このクエスチョンタイム一般が古い歴史を持っている中で、首相へのクエスチョン タイム自体はわりに新しい制度で、一九六一年に始まった。現在は、毎週水曜日に三 十分間行われ、その模様はすべて生中継されている。
議会には様々な古式ゆかしいルールがあるが、議員はそれに忠実に従いつつ整然と 騒いでいる。一斉に低い声で「Hear! Hear!」(謹聴!とか、賛成!の 意)と唸(うな)ったり、持っている書類を頭の上で振りかざしたり、無言でスクッ と立ち上がったり。侮蔑(ぶべつ)の笑いに賛意の叫び。結構賑(にぎ)やかであ る。
議場はさながらコメディーの舞台といった感じで、政治にそれほど関心がなくても 十分に楽しめる。事実、実際に傍聴に行き座っている間、自分が舞台の観客になった ような錯覚(さっかく)に陥った。
このようにくだけた雰囲気の中で、首相は喫緊(きっきん)の問題から政策全般に わたり矢継ぎ早に問われ、それに手際良く答えていく。しかも首相には、極めて真面 目な問題を、ユーモアを交えて論じる資質が必要とされる。首相の答弁は議場を笑い の渦(うず)にする。
さて、日本での報道を見聞していると、首相へのクエスチョンタイムが、純粋に党 首討論であるかのような印象を抱かせるが、これは誤認識である。事前に手続きを踏 んで認められれば、どの議員でも質問が許されている。逆に、第一野党の党首といえ ども毎回四度、第二野党党首が二度までしか質問が許されていない。ましてや、少数 会派の党首に特別枠はない。
日本では党首討論の配分時間をめぐり、「五分間ではいかに討論が無理か分かる」 (土井たか子社民党党首)といった意見があるが、英国では第一野党の党首でも、五 分程度しかしゃべっていないのだ。それでも時間が足りないという印象はない。
もちろん「党首討論」と銘打っている限りは、少数会派への配慮は必要だろう。し かし、時間が長ければいい討論ができるかというと、それは疑問である。こちらの討 論を見ている限り、与えられたわずかな機会を最大限に活かすよう、念入りに質問を 構成し、鋭く問題点を突いたほうが、引き締まった議論ができると思う。「時間制限 なしに論戦をやろう」(同党首)との主張はナンセンスである。そこから実りある討 論が生まれるとはとても思えない。
また日本での報道では、英国議会の討論を「丁々発止(ちょうちょうはっし)」と 形容している。しかし、首相はいつも分厚いファイルを手にし、質問を受けている間 も関係資料を探したり、そこに必死に書き込みをしたりし、答弁が書類を読みながら 行なわれることも多い。当意即妙の発言はもちろん望まれるが、それ以上に、実のあ る討論が必要である。
「この問題における政府と野党の相違点は何か」、「政府がなぜ、どのように、こ の政策を行おうとしているのか」等ということを、説得力に溢(あふ)れ、効果的 に、そして過たず伝えるためなら、用意した内容を読んだ方がいい場面も多々あるだ ろう。
その上で、表現力が豊かで、機知に富み、テンポが良ければ、「意味のある」丁々 発止となるのである。日本の首相も、そのように器用な答弁ができるようになれば、 「党首討論は予算委員会の縮小版」といった批判から免れるだろう。
討論会の中で現実の政治が動いていくことはないだろう。ただ、討論することで、 相手の知識を確かめ双方の立場を明らかにし、政府からは情報を得て言質を取ること ができる。また、討論の繰返しの中で、思考力、弁論術、さらには責任感が育まれ、 ひいては為政者としての資質が鍛えられていくのが理想だ。
英国議会ほど、お堅い政治を面白く演出している所はない。首相へのクエスチョン タイムは一大政治ショーなのである。それは、英国民に政治意識を持たせ政治に参加 させるのに、少なからぬ影響を持っていると思われる。
日本の党首討論は、国民への政治の「見せ場」となれるだろうか。英国を模倣し、 英国と全く逆の結果をもたらすとすれば、それは日本の政治にとって皮肉であり不幸 である。しかしながら、そうなる危険性を党首討論は十分にはらんでいる。 (ウォーリック大学博士課程)
略歴 ありた・はるや 一九七〇年、佐賀県生まれ。創価大学法学部卒。九六年、英国の ブラッドフォード大学平和学修士号取得。本年、ウォーリック大学政治・国際学博士 課程に進学。専門は安全保障、国際政治理論。論文に「ルソーの国際関係論―その積 極的解釈」。