
(1999年11月20日付)
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民主主義のために「知る権利」に奉仕を 政府にマイナスでも真実を伝えるべきだ |
――あなたは西側記者としてはただ一人、バグダッドに残って開戦を世界に伝え英雄的存在になった。しかしその後、多国籍軍の誤爆を報道すると、一転して米政府からは批判され、「バグダッド・ピーター」と売国奴呼ばわりする人々もいた。
大変に重要な問題です。実際、私は米国ジャーナリズムの公開化と国際化の流れを築いた「歴史の一部」なのです。ベトナム戦争を機に変わったんです。
朝鮮戦争までの米国の戦争特派員は、政府の政策を支持する報道をしてきました。当時の戦争特派員は、たいてい現地の米国大使館に行き、大使や国務省の発表を聞きました。また国防省に行って政府の見解を聞き、それらが米国のメディアの見解として報道されたのです。
しかし、ベトナム戦争では、私を含め(『ニューヨーク・タイムズ』の)ディビット・ハルバースタムやニール・シーハンら若い特派員がいました。私たちは戦争が始まったころから、米国政府、米軍また南ベトナム政府は、自らが何をしているか説明する義務があると考えていました。
何十億ミもの大金が戦争につぎこまれ、多くの米国人が顧問として派遣され、たくさんのベトナム人が殺されていました。米国政府は汚職にまみれた南ベトナム政府を支持していたのです。私たちはケネディ大統領とジョンソン大統領に、実際にベトナムで何が起こっているのかを国民に伝えるよう要求しました。
しかし、事実の報道をしていたにもかかわらず、米国政府の政策はどんどんエスカレートして、最後にはあんな悲惨な状況にまでなってしまったのです。二百万人のベトナム人と六万人の米国人が犠牲となり、結局、戦争は負けました。
ベトナムで報道関係者が学んだことは、政府に説明責任を果たさせることでした。国民が政府の秘密政策について十分に知っていれば、戦争なんて起きることはなかったんです。それ以来、米国の主要メディアは、どこに赴(おもむ)こうが、いつも政府の行動に疑問を持つようになりました。
――湾岸戦争ではベトナム報道の教訓が生かされたのですね。
ブッシュ大統領は、「サダム・フセインを攻撃するためにバグダッドを爆撃する。しかし、新型爆弾のおかげで民間人を攻撃することなく、フセインを狙って攻撃できるようになった」と言いました。「すごい技術を開発したのだ。狙いを定めた標的以外には当たらない。我々の軍隊は素晴らしい!」と。
しかし、私がバグダッドで目にしたのは、それだけではありませんでした。政府が発表したように、攻撃した標的はほとんどが軍事施設でした。でも、なかには民間施設も含まれていました。粉ミルク工場や三百人の女性と子供が避難していた防空壕などもあったのです。これらの報道は論争の的になりました。
なぜなら、米国は戦争をしていて、敵はサダム・フセインであり、米国のメディアならば政府を支持すべきだという意見があったからです。私たちメディア側は、なぜ政府を支持しなければならないのかと思っていました。
政府は自己を正当化する手腕に長(た)けています。大統領や国務長官などは記者会見を開けます。米国は民主主義の国です。政府の政策はオープンであり、CNNや他社が反対側の意見を報道したからといって何がいけないのでしょうか。民主主義なんだからマイナスの情報だって、ためになるはずだ。なぜ隠そうとするんだってね。
――あなたの友人のD・ハルバースタムは“小さな窓”を開ける行為であると、あなたを一貫して支持しましたね。
今日のメディアは、反対側の意見の報道も続けています。我々のようにメディアの主流にいると、それが大変に重要なことなのです。政治家は抵抗します。彼らはマイナス情報を隠したがるんです。しかし、民主主義においては、どんなに不快でも、真実を報道しなくてはならないのです。
ブッシュ大統領は非の打ち所のない湾岸戦争にしようとしていたのです。サダム・フセインを倒せなかったことと、民間粉ミルク工場を爆撃してしまったこと――この二つ以外に関しては完璧でした。
ブッシュ大統領はサダム・フセインを倒せなかったことについて国民から非難されました。今日に至っても彼は「サダム・フセインを倒さなかったのは、時期尚早だったからだ」と弁解し、粉ミルク工場についても論議を続けています。しかしながら、このような論争こそ、制度や理念について見つめ直す機会になり、メディアや民主主義を成長させるのだと思います。
報道論争には大いに賛成ですし、メディアに疑問を投げかけるのも大賛成です。我々も疑問視されてしかるべきです。しかし、愛国心やナショナリズムのマントに隠れてもいけないのです。それらの〈しがらみ〉から自由でなくてはならないのです。
略歴 Peter Arnett 1934年ニュージーランド生まれ。地元紙記者を経て61年AP通信へ。ベトナム戦争で数々のスクープ記事をものにし、66年米報道界で最高の栄誉とされるピュリツァー賞を受賞。81年CNNに移籍。湾岸戦争報道で全世界の注目を集めた。今年5月、foreignTV.comの国際報道担当責任者として入社。世界の指導者たちとのインタビューを手がけるほか、同社の海外支局拡充を助ける。
foreignTV.com
インターネット上の第4のテレビ
インターネット上でテレビ同様の映像と音声を用い、国際ニュース、ファッション、芸術、文化、旅行、スポーツ情報等を提供するサービスを行っている。好きなときに楽しめ、何回でも見られる「オン・デマンド」の特性を強調し、地上波、CATV(ケーブルテレビ)、衛星放送に続く第4のテレビ・メディアをうたい文句にしている。2000年初頭には日本語放送も開始予定。アドレスは、http://www.foreignTV.com
取材メモアーネット氏の経歴は二十世紀のメディアの発展史と重なる。活字メディア(AP通信)に二十年、テレビ(CNN)に十八年、そしてインターネットへの転身――。「CNNはまだ私の心にあります。でも、私の将来はインターネットです。インターネットでニュース放送をするんです。わくわくします」
今日、世論を動かし国策を左右する「CNN効果」という言葉が国際政治の分野で定着している。「CNNも設立当初は頭文字をもじって、チキン・ヌードル・ネットワーク(即席麺テレビ)と馬鹿にされたものです。だが世界的に大成功した。foreignTV.comも必ず成功します」と氏。「世界初の戦争インターネット記者になりたい」という今後の活躍次第では、国際政治に「foreignTV.com効果」の新語が付け加えられるかもしれない。