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寄稿論文

メディアのページ


性差別とマスコミ

大庭絵里
神奈川大学助教授

(1999年11月13日付)




日本社会の“男性優位”反映

広告掲載=新聞の責任を日弁連が指摘




「嫌ポルノ権者」保護の観点から改革を

 去る十月に開催された日本弁護士連合会の第四十二回人権擁護大会「人権と報道」の分科会では、本紙(十月二十三日付)も取り上げた犯罪報道に関する問題の他、性差別的性表現も一つの問題として提起されていた。

 分科会が「性差別的性表現の問題」としてあげているのは、レイプや盗撮をあおる記事の見出し、女性をもっぱら性的対象として見なす見出し、性行為のアダルト・ビデオ的具体描写、女性の身体の一部の強調などである。

 弁護士がこれまで見過ごされてきたこれらの新聞広告や電車内での広告について、女性の「性的自己決定権」から非難し、「嫌ポルノ権者」の保護の観点からの改革を提言することは評価すべきであろう。この問題は今後も議論すべきであり、とりわけ広告を掲載する新聞の責任について踏み込んだことも意義深い。

 こうした雑誌における女性の身体や性に関する表現及びその広告について、法や権利という観点からではなく、日本の社会・文化の側面から考える必要もあるだろう。

 女性の裸体や性器に関するメディア表現(雑誌写真など)は、これまで「品位」や「道徳」の水準で非難されるか、あるいは芸術か猥褻(わいせつ)かを問う議論が多かったが、「品位」や「道徳」の水準で非難したところで、それを読む/見る男性たちには説得性はない。

女性の身体への脅威が氾濫した状況野放し

 女性の身体を見たいのは男の「生理」「自然な欲望」として「当然」とみなす観念にとらわれる日本社会は、そのようなメディアを作り出し、またメディアによってそうした考えが助長されてきた。それも場所を選ばず、男性たちの読みたい放題の状態が野放しにされてきた。

 性情報に関しては、現実と幻想の区別がつかずに、性に関する言動や描写が、職場やその他の日常生活の場にまであふれているのが日本の特徴である。強姦、盗撮、買春が堂々と日常の中でメデイアを通じて情報交換され、市場化される環境の中にあって、女性が性的自己決定権をかかげて異議申し立てしても、あるいはやさしくゾーン化(見る/見せる場の区域化)を申し立てても、その声は無効化されてしまう。

 電車の中での雑誌広告や、隣の男性が読むタブロイド紙のソープ情報は、読みたくない者の目にも暴力的に入ってくる。女性の半裸や水着の写真、乳房や女性器を誇張する見出しに囲まれた電車の中で、女性たちは痴漢から身を守る。

 このように女性の身体への脅威が氾濫(はんらん)した日常は、それを「自然」と思わせるほど強力なイデオロギーに人々がいかに支配されているかをものがたっている。ワイルドな装いであれ、男性に媚(こ)びる「可愛い」外見であれ、女性が男性の性を刺激し、満足させる道具として存在するという観念から女も男も自由ではない。

「見る男性/見られる女性」を正当化するな

 性の商品化の是非論はさておき、今日の資本主義体制のもとでは性の商品化は前提である。だが、その商品化のあり方は男女で同様ではない。女性はもっぱら「見られる存在」であり、男性は「見る存在」である。「見る」「見られる」の関係は決して対等ではない。「見る」側は圧倒的権力をもって「見られる」存在を支配するからである。

 男性も女性も、メディアが構築し再生産するセクシュアリティを強制的に引き受けざるを得ない環境にいる。女性の居場所は家庭の中にあり、そこに入るまでのつかの間を「見られる」ことにしのぎをけずるようにと、男性優位かつ異性愛社会のメディアは導く。

 一方、男性の性をあおるメディアの環境は、男性たちに女性の身体を見て喜び、女性への性支配が実行可能なものと脅迫的に信じこませ、翻弄(ほんろう)させる。男性優位社会とメディアは、相互に映しあい、支えあいながら「見る男性/見られる女性」を正当化する。

 その中で女性の性的自由や性的自己決定権は奪われていく。

 「見られる」ことを望んで「可愛い」少年たちが少女に媚びを売り踊っても、あるいは「ハンサム」な男性がモデルになろうと、性差別的社会とメディア上の不均衡な男女の表現には関係がない。男たちに目を覚ませと言っても効果があるだろうか。

 しかし、もし男性たちが、電車の中で足を開いて「官能的」とされる女性の裸の写真をタブロイド紙にのぞき込むことが「恥ずかしい」と思うなら、日本にはまだ救いがある。(神奈川大学助教授)




略歴  おおば・えり 1959年静岡県生まれ。上智大学外国語学部卒業、同大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程満期退学。専門は逸脱・社会問題論、犯罪社会学。近著論文「少年非行とマスメディア」、後藤弘子編『少年非行と子どもたち』明石書店から。