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寄稿論文

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医学から見た水俣病の40年

原田正純
熊本学園大学教授

(1999年10月16日付)




患者の声が政府に届くまでの“遠さ”

「負の遺産」として徹底的に明らかにし後世へ

水俣・沖縄展の記念講演会から




 公害の原点である水俣病を扱った「水俣・沖縄展」が、九月二十六日から十月三日まで沖縄コンベンションセンター会議場で開催された(共催・沖縄創価学会)。ここでは熊本学園大学の原田正純教授による記念講演の要旨を掲載する。

公式発見からの歳月の重み

 水俣病の問題は、一昨年、政府が患者たちへ解決策を出してきて一応の和解が成立しました。その中身について私は不満ですが、それはともかく、ここまでくるのに公式発見から四十年――水俣の患者の声が霞ガ関に届くのに四十年かかった――という事実は大変象徴的だと思います。その意味を考えてもらいたいと思います。

有機水銀による中毒の解明史

 私が最初に水俣を訪れたのは大学を卒業した翌年の一九六〇年でした。そこで、最初に患者さんの酷(ひど)い症状を診たショック、患者さんの家族に「来るな!」と言われた時のショックがすごく強烈でした。

 一九五六年の春、水俣の月浦に住む五歳の女の子と三歳の女の子が発病しました。五月一日に、二人が入院したチッソの付属病院から保健所に届け出があり、この日が水俣病の正式発見の日となりました(この姉妹の妹さんは今もご存命です。言葉は失ったまま、全面介護ですが、私たちは皆、この子は大事な人だ、長生きしてもらいたいと思っています)。

 ただちに医師会や保健所、そして熊本大学医学部が原因の究明を始めましたが、手探りの状態が二年続きました。なぜ時間がかかったかというと、あまりにも重症の人が多く、聞き取りさえできなかったことと、チッソの協力が全く得られなかったからです。

 それでも、熊大研究班は、いくつかの症状を頼りに、イギリスで一九四〇年に起きた有機水銀中毒の報告例を探し出し、さらに、水俣湾のヘドロから水銀鉱山並みの水銀を見つけ、水俣病の原因は有機水銀だとつきとめました。

 そんな化学物質を使っていたのは水俣ではチッソ水俣工場だけでした。チッソ側は、海には希釈(きしゃく)作用があって毒性は薄まるはずだと主張しましたが、研究班は「生物濃縮」の原理――つまり、工場廃水に含まれる有機水銀が、プランクトンや小魚、大魚へと食物連鎖の中で濃縮されていく原理を明らかにしました。世界で初めて食物連鎖を経た中毒事件が明らかになったのです。これが一九五九年です。

 この年、患者たちの闘いは過酷でした。十二月三十日、明日は大晦日という日です。厳寒の中でチッソ工場前に座り込んでいた患者たちの前に県知事が来て、後に公序良俗違反といわれた見舞金契約を結ばせました。この時の契約の中で、その後の救済を狭くする認定制度ができるのです。

 病気の場合、普通は医者が病名を診断するのですが、水俣病では水俣病患者審査協議会という委員会が「認定」しなければ患者は水俣病と認められないのです。その結果、六〇年の五人を最後に、十年間ほとんど患者は出なくなりました。これは、水俣病が終わったのではなく、社会的・政治的に終わらせられたということです。

 私は、水俣の湯堂で同じ症状の二人の男の子に会いました。この二人は兄弟で、兄が水俣病と認定されたのに、弟は生まれつきで魚を食べていなかったのを理由に認定されなかったのです。でも、母親は言いました。「私はどうしても水俣病だと思います、私が食べた魚の水銀をこの子がとってくれたのではないかと思います」と。

 当時の医学では、毒物は胎盤を通らないというのが常識でした。さらに、母親の症状が酷いならまだしも、母親が比較的元気なのにおなかの赤ちゃんに影響が出るのはおかしい、とされていました。

 それでも母親の言葉が気になった私は疫学的、臨床的、病理的研究をすすめ、六二年の十一月に、十七人の患者が正式に胎児性水俣病と認められました。後に東京大学の調査で、有機水銀が胎盤を通ってしまうことが明らかとなり、とうとう母親の言葉が正しかったことが証明されたのです。

 現在、六十四人の胎児性水俣病が確認されています。胎盤を通って起きた中毒がこんな大規模に見つかったのは、世界で初めてでした。このように人類初めてともいえる経験が相次いだことで、水俣病は「公害の原点」となったのです。

地球規模で広がる水俣病

 有機水銀中毒は日本だけではありません。カナダではカナダ・インディアンが、中国でも吉林省で漁民たちが被害を受けています。ブラジルのアマゾンでも、フィリピンでも水俣病が起こる可能性がでています。水俣病はまだ終わっていません。

 「公害は差別だ」と言われますが、世界を歩いて見るとわかります。やはり差別のあるところにすべてしわ寄せが来てしまう。戦争だってそうです。一番弱いところが一番の被害を受ける、そういう構造になっているのです。それを私は水俣で学びました。

闘う人々との連帯に未来への希望

 沖縄戦も水俣病も、そして広島・長崎の原爆も、本当は起こってはいけなかったことです。しかし、起こってしまった以上、それを「負の遺産」として、徹底的に実態を明らかにして、次の世代に伝えていくべきです。あのどうしようもない絶望的な水俣で、少数でも一生懸命に大きな力と闘った人たちがいたことを私は忘れません。そういう人たちがいる以上、まだ地球は最悪ではないと思えるし、私自身、希望を捨てたくないのです。




略歴  はらだ・まさずみ 1934年鹿児島県生まれ。熊本大学医学部卒業。同大学院修了。64年「先天性(胎児性)水俣病の臨床的疫学的研究」で医学博士。同論文は日本精神神経学会賞を受賞。その他、大佛次郎賞、UNEPのグローバル500賞などを受賞。水俣病、三池炭鉱炭じん爆発、中国・カナダの水俣病、ブラジル・アマゾン川の水銀汚染など、幅広く調査・研究。著書に『水俣病』『水俣が映す世界』など多数。