Current Directory is http://www.seikyo.org/【Seikyo Media Page】Copyright (C) 1997-1999 by The Seikyo Shimbun.



寄稿論文

メディアのページ


米国の犯罪被害者遺族の会に参加して

東晋平
ジャーナリスト

(1999年9月11日付)




同じ悲しみ分かち“共助”の活動

全米で350支部10万人を数える(1978年に創立)



オクラホマ州で第13回年次会議

 犯罪で大切な家族を奪われた被害遺族を、法的、精神的にどのように保護し、サポート していくべきか――。日本においても、この問題は喫緊(きっきん)の課題となっている 。アメリカの実情を取材する機会があった。
 八月十三日から三日間、アメリカのオクラホマ州タルサ市で、POMC(Parents of Murdered Children, Inc=子供を殺された親の会)の第 十三回年次会議が開かれた。記録的な熱波の余波が残る猛暑の中、全米から約三百五十人 の遺族が参加した。
 POMCは、殺人事件で愛娘を失ったヒューリンジャー夫妻によって、一九七八年にオ ハイオ州シンシナチで創立された。当初は、ヒューリンジャー夫妻と、その他のわずかな 遺族をサポートする小さなグループ活動として、カトリック司祭らに支えられていた。現 在では、全米で十万人の会員を有し、三百五十支部を数える規模に発展している。
 年次会議では、全員が一堂に会しての慰霊祭を中心行事に、「少年犯罪について」「検 死について」「怒りや悲しみをどう受け容(い)れるか」「母親たちの悲しみ」等々とい った多彩なワークショップが、会場となったホテルの各部屋で終日用意された。参加者は 、自分の関心のある会場を選び、自由に聴講し、ときには議論や質疑応答に加わることが できるのである。

相互に思いやり“癒し”を得る

 会員の宗教的立場は多様であり、慰霊祭も宗教色を極力排して、亡くなった子どもたち の笑顔が次々とスライドで映し出されるという形式であった。また、会議のフロアの一角 には犠牲者の写真を飾ったコーナーや、名前を刻んだ銘板が並べられており、遺族にとっ ては、亡くなった子どもが「生きていた証」をあらためて確かめる場ともなった。
 ほとんど耐えがたい痛みを心に抱えている遺族たちにとっては、自分と同じ悲しみを分 かち持つ人々と交流し、遠慮なく悲しみを表現できる機会を得られることそのものが、何 よりの癒しになる。
 会員たちの多くは、思いがけない悲劇に見舞われた折、同じ痛みを知ってくれているP OMCのメンバーからそっと連絡をもらったことで、蘇生への一歩を踏み出す糸口をつか めた。
 アメリカには、法改正などを求める政治的働きかけを目的とする遺族団体や、犯人の減 刑に反対するための遺族団体などもあるが、POMCの基本的な性格は、あくまでも遺族 相互の“共助”組織である。新たに被害者となった家族に対し、電話でじっと話を聴いて あげるという人もいれば、裁判所に一緒について行ってあげるというケースもある。

リュームンチ理事長にインタビュー

 会場でナンシー・リュームンチ理事長に話を聞いた。
     ◇
 ――今後、日本でも貴会のような団体が必要だと思います。参考のために、まず財政の 内訳について教えてください。
 「年間予算は二十万ドル。メモリアルグッズの販売収益の他は、すべて寄付です。大半は 遺族個人からの寄付です。会員以外の遺族からの寄付も受けています。さらに、二つの企 業から合わせて一万七千ドルの寄付もいただいています」
 ――政党や議会との関わりはどうなっていますか。
 「関わらないということが基本です。POMCの名前を使っての政治的行動は一切禁じ ています。遺族相互のケアが中心であり、パロルブロック(加害者の釈放阻止)への嘆願 活動などは、個人的になされています」
 ――これまで最も苦労してこられた点は何でしょうか。
 「財源を確保することと、人数を増やすことでした。規模が小さいと、必要な団体だと は見なされなくなりますから。八万人から十万人にするのに十四年かかりました。新しい 千年紀へ、さらに増やしたいと思っています」
     ◇
 会場の随所に置かれたティッシュの箱が、「ここでは気兼ねなく涙を流していいのです よ」という、遺族同士の思いやりを象徴していた。(ジャーナリスト)




略歴  ひがし・しんぺい 1963年、神戸生まれ。駒澤大学卒。97年に起きた神戸連続児童 殺傷事件に関連し、ベストセラーとなった被害者の母親の手記『彩花へ―「生きる力」を ありがとう』『彩花へふたたび。あなたがいてくれるから』(いずれも河出書房新社刊) を企画構成。