
(1999年9月4日付)
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独立実現へ目を輝かせる人々 日本政府とメディアは支援惜しむな |
四半世紀もの間、他国の軍隊に占領され、虐殺、レイプ、強奪などありとあらゆる方法
による民族絶滅政策に苦しみ、人口の約三分の一が死亡したといわれる小さな島の人々が
、新しい国家として独立への第一歩をしるした。旧ポルトガル植民地で、一九七五年にイ
ンドネシアが侵略し、翌年に二十七番目の州として併合した東ティモールだ。
その東ティモール独立の是非を問う国連管理下の住民投票(登録有権者は約四十五万人
)は八月三十日に行われた。私は八月十九日から約二週間首都ディリのタイベシ地区にあ
るロペス氏(仮名)の家に泊まり、独立を希望する住民たちと共に投票を見守った。
投票日には午前六時半、ロペスさん夫妻と一緒に近くの小学校に設けられた投票所に出
掛けた。午前四時には投票所に来ていたという杖をついた高齢の男性が、国連東ティモー
ル支援団の職員に見守られながら歴史的な第一票を投じた。
第二次世界大戦中に元日本軍の憲兵助手として働いたというシルバさん(76)は「併合当
時はインドネシアに期待するところもあったが、この二十三年間にインドネシア軍は次々
と東ティモール人を殺した。彼らは我々を皆殺しにするつもりだ。今日は本当にうれしい
」と話した。
私はジャカルタ特派員時代に、インドネシアで学ぶ多くの東ティモール人たちと会った
が、いつもインドネシア軍の「インテル」(情報部員)に尾行、監視された。
九一年のサンタクルス虐殺事件取材などで二回、東ティモール現地に入った。取材中に
銃口を向けられたこともあり、戒厳令が敷かれているような重苦しい雰囲気だった。住民
たちは外国人記者の取材に押し黙ったままで、一部の学生たちが声をひそめて「日本政府
に我々の苦しみを伝えてください」と懇願したことを今もよく覚えている。
詳しくは『日本大使館の犯罪』(講談社文庫)、『日本は世界の敵になる』(三一書房
)を読んでほしい。
あれから八年。住民たちは、ほぼ自由に独立運動を展開できるようになった。
八月二十五日に約三万人が参加した独立要求のデモでは「東ティモール民族抵抗評議会
」(CNRT)のシャナナ・グスマオ議長の写真や旗を掲げて、沿道の市民と共に「生か
死か。独立のために闘うぞ」というスローガンを叫んだ。独立を求めるポスターも街のあ
ちこちに貼られた。住民たちの目は光り輝いていた。
投票日にはディリ市内のほか、四月に住民が多数虐殺されたリキサ、インドネシア軍が
支援する「併合派」の民兵の拠点であるマウバラ、山間部のハトケシなどの投票風景を見
た。ハトケシの一つの投票所(有権者六百人)では投票率が一○○%だった。険しい山道
を何時間もかけて登ってきた住民たちは、私たち外国人を見ると、グスマオ議長の写真と
旗を掲げて「独立万歳」を叫び拳(こぶし)を振り上げた。
六月に国連支援団が展開してから投票前後まで、インドネシア軍が武器と資金を提供す
る民兵組織が各地で一般住民を襲撃し、棄権(きけん)を呼び掛けたりしたが、住民は彼
らの脅しに屈せず、数時間も列をつくって一票を投じた。
東ティモール内の投票率は九八・六%という驚異的な高さを記録、海外でも亡命者らが
投票した。開票作業は順調に進んでおり、最終結果は四日にも発表されるが、独立が圧倒
的多数で承認されるのは間違いない。
東ティモール住民は「ティモール・ロロサエ国」(ロロサエは現地のテトゥン語で、太
陽が昇るという意味)として五百年に及ぶポルトガル、日本、インドネシアによる支配か
ら脱することになる。
しかし選挙後も武装民兵たちは、住民のほか国連職員、記者ら多数を死傷させたり、デ
ィリ空港の内部にも展開している。「インドネシア軍は侵攻したときに我々の血を流した
。撤退するときにも同じことをするに違いない」。ロペスさんの近所の住民の多数はこう
言って、山の中の教会などに避難した。
ノーベル平和賞受賞者のベロ司教は投票日翌日、日本の国会議員団に「(独立が決まっ
た場合)インドネシアの国会で分離を認めるまでの二カ月間の空白の期間が最も心配だ。
引き続き国際的な連帯をお願いしたい。新しい国をつくるために、教育や文化の面で日本
の支援を期待している」と述べた。
旧日本軍による東ティモール侵略で約四万人が死亡している。また政府開発援助(OD
A)が独立運動ゲリラ掃討作戦に使われている。ディリから帰る飛行機に乗っていたミレ
ナさん(七五年にオーストラリアへ亡命)は「祖父は日本軍に殺された。父は遺体が埋め
られた場所を今も探している。日本はきちんと戦時賠償をしてほしい」と話した。
国連はインドネシアの併合を認めてこなかったが、日本は米国と共にインドネシア軍の
不当な占領状態を黙認した。日本で住民たちと連帯してきたのはカトリック教会と市民運
動家らだけだった。マスメディアも真実を伝える努力を怠ってきた。日本政府とメディア
は過去の責任を自覚し、ティモール・ロロサエの新政府樹立に最大限の支援を行うべきで
あろう。
(ジャカルタにて、同志社大学教授)
略歴 あさの・けんいち 1948年香川県生まれ。慶応義塾大学卒。共同通信社社会部・外 信部記者、ジャカルタ支局長を歴任し、94年4月から現職(文学部新聞学専攻)。人権と 報道・連絡会世話人。著書に『犯罪報道の犯罪』『メディア・リンチ』など多数。ビデオ 『人権と報道の旅』を監修。