
(1999年8月14日付)
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チャウシェスク独裁下(旧ルーマニア)での悲劇的な抑制 ユーゴ空爆も恐るべき“力”で人々の口をつぐませた |
一九八九年の東欧革命によって、ルーマニアのチャウシェスク独裁政権が崩壊してから 今年で十年――。ここでは、独裁時代の検証に取り組んでいる雑誌『メモリア』の編集委 員会メンバーで、亡命詩人のニコラエ・シリウス氏(福岡県在住)に、文化人の抑圧や秘 密警察の活動など、当時の悲劇の一部始終を記してもらった。
共産主義の教義は周知のとおり、人類間の高潔な平等化に向けての平和的な過程の必要 性を示している。
しかし、これが平和的になされず、共産主義者たちは、彼らの教義に反対する人々に対 し、投獄、国外追放、そして死刑を与える事で反体制派の口を封じた。国のすべての力を 結集し、社会主義体制の独創的なイメージを見せかける一方、地面の下を流れる川のよう に裕福層、知識階級の集団を覆い隠した。
彼らは強制労働を強いられ、投獄されたり、死を余儀なくされた。中には共産主義のイ デオロギーを抱きかかえ、権力者のために動き現在の体制とうまくやっていく者もいたが 、少なくともこの様な事は驚くことではなかった。やがて、私たちの言論を抑制した者ま でが「言論の自由」を奪われる羽目になっていった事に、関心を払うに値する重要なポイ ントが存在する。
独裁者と呼ばれたチャウシェスクは、ルーマニアのあらゆる所に家を持ち、頭のてっぺ んから爪先まで毎日、身につけるものを取り替えるという派手な生活をしていた。
すべてを意のままにし、あらゆる権力を手にしているかの様に見えた彼であったが、そ の政治アドバイザーであり、秘書であった男が、米国のスパイであった。実際の姿は彼自 身の言動もつつ抜けで人権すら持ち合わせていなかったのだ……。
国家の安全を守るという役割で組織された秘密警察は、一般の人々の間に指導者への忠 誠心と安全性を示すため、お互いをスパイし合うというシステムをつくった。そして、互 いが互いを疑い、人間にとって最も大切な信頼関係を否定しなければならないという悲劇 を生み出してきたのである。
作家としての私は、それらの目撃者というだけでなく、それらと戦ってきた。そして最 後には、自分自身の追放を免れるために戦う事だけが残された。作品は一行も出版されな くなり、私が国を去った後、書いた物はすべて警察の手で焼かれた。家族は皆、職を失い 、父は毎日行われる秘密警察の執拗(しつよう)な尋問に耐えた。
追放された人々の中には彼らの祖国で何が起こったか自由に説明できる者もいた。しか し、この事で「言論の自由」を得たと言えるだろうか。彼らが話をするのは保護されてい る事が前提であり、また逃亡先の国々の事情(タブー)については自由に話す事はしない であろうから……。
共産主義政権により、ルーマニア(旧共産主義国)では数多くの貧困層の人々が生きる すべを見い出すことができたことも事実である。しかし、やがてこの政権は窮地(きゅう ち)に追いこまれ、破産や政治的不安定に直面した。秘密警察でさえ、彼らの役目は終わ りに近づいていると感じ、犠牲者のふりを始めたものだ。
しかし、犯された罪は多すぎ、不当な仕打ちは程度が高すぎ、隠しおおせるものではな い。彼らは、まさに初めから権力が犯した罪を暗黒の沈黙の中に葬り去るために人々の言 論を抑制し、罪を重ねたのだ。
「言論の自由」の欠如はルーマニアや、かつての共産主義国に限って見られたものでは ない。資本主義は良くて、「言論の自由」も全く守られているというのも、また間違いで ある。国から国へ、一つの時代から他の時代へ、言論抑圧はさまざまな形態をとってきた 。時には宗教的側面を持ち、時には政治的側面を持つ。
最近のユーゴスラビア紛争は、この問題の“新しい顔”を見せた。病院や道路を破壊し 、多くの罪のない人々を殺した大国の力を放映し続けたマスメディアは、権力の残虐行為 を私たちに見せつけた。その罪を神秘の川のように覆い隠した社会主義政権のやり方とは 反対に、圧倒的権力、恐るべき新兵器のパワーを見せつけたのだった。
これまで多くの共産主義政権は、権力の恐ろしい顔を隠すことに狂奔(きょうほん)し た。しかし、今回のユーゴスラビア空爆では、NATO軍とりわけ米国は、圧倒的な武力 という権力の恐ろしさをあからさまにした。その結果、脅威を目の当たりにした人々は口 をつぐんでしまわないだろうか。意図したかどうかにかかわらず「言論の自由」は、やは り圧迫されたのである。
「言論の自由」を与えられたり、奪ったり、また支配階級から一般の人々へ、コントロ ールが向けられたり、という行為は全く矛盾している。本来、すべての人間に必要なこの 自由を守る事は、人々が互いに正常な関係を保ち、平和へ至ることのできる最も重要な道 である。そして、私たち一人一人が創造的、精神的な人間らしい生き方を学ぶためにも― ―。(ルーマニア亡命作家)
略歴 Nicolae SIRIUS 一九五〇年ルーマニア生まれ。ブカレスト大学哲学部 に学ぶと同時に詩人としてデビューし、数々のコンクールに入賞。八六年、チャウシェス ク政権の弾圧にあい、政治亡命者としてオーストラリア政府に受け入れられる。九七年に 来日。講演活動の傍ら執筆を行う。著書に『死の宮殿』『国外追放者の春』、戯曲に『最 後の独裁者、カイン、アベル、そして神』がある。