
(1999年7月24日付)
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マクロ経済指標の上昇で安易に論評 多様な意見を提供する役割放棄したマスコミ |
内容はいずれもほぼ同じだった。スハルト大統領の退陣後も政治的な不安定がつづくイ ンドネシアをのぞけば、各国とも応急手当はすませたため経済危機は「底を打ち」(朝日 )、「景気も回復軌道に乗った」(日経)とされる。
その証拠として、株価、通貨、内需が上向き、一〜三月の国内総生産(GDP)は前年 同期比でプラス成長となった。通貨危機の主役を演じた短期資本も、急速にアジアに舞い 戻りはじめている。こうしたマクロの経済指標から判断して、NHKに登場した財界人、 エコノミスト、経済学者、官僚も、インドネシア以外の国には○印をつけた。
だが、この回復基調が本格的なアジア再生につながるかどうかとなると、意見は別れる 。「東南アジアの危機は構造的なものではなく、経済拡大にむけての調整的局面」とみる 渡辺利夫東京工大教授のような楽観論(NHK)もあるが、慎重論も根強い。肝心な経済 改革はなかなか進んでいないため、「一時の危機的な状況を乗り切ったものの本格回復の 展望は開けていない」というエコノミスト(毎日)や、「完全な復調までにはなお時間が かかる」とするアジア開発銀行の見方(読売)が紹介されている。
たしかに、これらの記事や討論で伝えられることは、それなりに事実であり、アジアの 危機からの再生に不可欠な問題点なのであろう。そしてアジア経済はふたたび、高い成長 軌道に乗ることが可能になるのかもしれない。だが、はたしてそれだけが、いまアジアに 求められている再生の道なのだろうか。
わたしはいま、タイの有力英字紙ネーションのプラウィット記者が書いた『タイの願望 と嘘』(Wishes and Lies in Thailand)と題する本の日本語訳出版 を準備しているが、同記者はその序文につぎのように書いている。「経済危機後の現在、 それまでの驚異的な経済成長の時代をなつかしむような声が、タイのエリートや中間層か ら聞こえる。しかし、あの時代は経済成長率をはじめ、さまざまな点で異常な時代だった のだ。いまの経済危機が異常なのと同じである。社会のいたるところにひずみが増幅され たことを忘れるべきではない」
この本は、アジアの高度成長が注目され、日本のメディアや経済界が「アジアの時代」 と騒いでいた一九九〇年代の前半に彼が同紙に書きつづけたルポを一冊にまとめたものだ が、その取材対象は、「経済的奇跡といわれた時代を体験しながら、エリートや中間層と とはちがって、自分たちの夢を実現できなかった多くの人々の現実」に集中している。
これらの指摘は、おそらくタイだけではなく、おなじような高度成長を経験したほかの 東南アジアの国々にも程度の差はあれ、あてはまるはずである。しかし、通貨危機から二 年の現状を伝える日本のメディアからは、このような社会の現実とそこに生きる普通の人 々の願望に根差した、新しい再生のビジョンはいっこうに見えてこない。あいかわらず、 マクロの経済指標が安定的に上昇することがすなわち「再生」であるかのような視点に終 始している。
これは、ジャーナリストが企業エリートやエコノミスト、官僚の視点でしかアジアを見 れないことの反映であり、多様な意見の提供というジャーナリズム本来の役割の放棄にほ かならない。そこには、経済ジャーナリズムに大切とされる、「経済社会が生身の人間に よって成立していることへの感性」と「時流に合わせるだけの議論を超えた『あるべき人 間社会』を求める視座」(寺島実郎三井物産総合情報室長・毎日7月18日朝刊)はまった くうかがえない。再生を求められているのはアジア経済だけでなく、日本のアジア報道で あろう。 (神田外語大学教授)
略歴 ながい・ひろし 一九四一年、東京生まれ。東京外国語大学ロシア科卒業、毎日新聞バ ンコク特派員、編集委員などを経て、現職。著書に『アジアはどう報道されてきたか』( 筑摩プリマーズ)、共訳書に『アウンサンスーチー――ビルマからの手紙』(毎日新聞社 )など。