
(1999年7月10日付)
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世界中から注目された「民主主義の祭典」 第2次大戦で侵略の歴史もつ 日本の政府と市民は支援の労を |
共同通信ジャカルタ支局長時代にスハルト前大統領に退去命令を出された経験を持つ私は、インドネシアで四十四年ぶりに行われた自由選挙をこの目で見たかったので、六月三日から八日までジャカルタに滞在し、この歴史的な選挙と報道について調査した。
インドネシアでは建国以来、選挙は「民主主義の祭典」と呼ばれてきた。今回の選挙は、人口が一億九千万の多様性に富んだこの国の未来を決定づける重要な意味を持っている。
選挙の投開票が行われてから一カ月以上経過したが、最終結果がまだ発表されていない。自然の中でゆったりと暮らす人々が多いインドネシアには「ジャム・カレット」(ゴムのように時間が伸縮する)という言葉があるが、それにしてもこの遅さは異常である。
昨年五月まで三十二年間の強権政治を敷いたスハルト前大統領は学生、市民の蜂起で昨年五月に退陣。後任のハビビ大統領が前倒しで総選挙を実施したもので、十月には新大統領が国民協議会で選出されるはずだった。
開票集計の遅れは、ゴルカルの影響力の強いスラウエシ島などで、選挙に不正があったとして、野党の選挙立会人が選挙報告書に署名を拒否していることも原因の一つのようだ。
今回の選挙では全国で約三十一万の投票所が設けられた。私はジャカルタ市内の五カ所を見た。投票は午前八時から始まった。四十八ある政党のマークの中から一つを選び、釘で穴を開ける。
「軍や政府が第一党の党首を大統領に選出することを妨害したらまた暴動を起こす」。庶民が住む地区で露天商(27)は目をきっと開いてこう語った。昨年五月の暴動で焼き打ち、レイプなどの被害に遭った華人の住む地区では、エンジニアの男性が「友人の多くがシンガポールなどに逃げている。選挙で安定した政治体制ができることを願う」と話した。
高級住宅街のメンテン地区にある投票場にはハビビ大統領が視察にやってきた。「新しい国をつくる第一歩だ」と親指を立てた。スハルト氏の「イエスマン」とされるこの人に言われても素直には聞けない。
選挙管理委員会のメンバーが投票済みの用紙を開き、釘の穴が開いている政党名を読み上げる。「闘争民主党」という声には、大きな拍手と歓声が上がった。メガワティ氏の人気はすごい。イスラム指導者のアミン・ライス前ガジャマダ大学教授率いる国民信託党の支持者もかなりいた。一方、ゴルカルと読み上げられると、ブーイングが起こった。「誰が入れたんだ」と“犯人”探しまであった。投開票所には近所の子供たちも集まって、お祭り騒ぎだった。
私が特派員だった九二年六月の総選挙では、軍政が公認した三政党しか認められず、公務員などはゴルカルへの投票を強制されていた。今回は、都市部では軍や政府の圧力はほとんどなかった。大きな進歩だと思う。
気掛かりなのは、反スハルト運動を闘った民主化活動家のかなりの部分と一部知識人たちがゴルプット(棄権)を公然と宣言したことだ。進歩的学生の一部も「選挙はスハルトの息の掛かった連中による茶番だ。軍が政治から完全に撤退しないかぎり民主主義は育たない」(バンドン工科大学学生)などと強調している。私の知人のほとんども棄権したし、ジャーナリストも多数がボイコットしたようだ。
日本はスハルト政権時代に巨額の政府開発援助で強権体制を支えた。また、第二次世界大戦でインドネシアを三年半侵略し、三百万人以上が命を失っている。日本の政府と市民は、インドネシアが民主化に成功するように、できるかぎりの努力をすべきである。(同志社大学教授)
略歴 あさの・けんいち 1948年香川県生まれ。慶応義塾大学卒。共同通信社社会部、外信部、ジャカルタ支局長を歴任し、94年4月から現職(文学部新聞学専攻)。人権と報道・連絡会世話人。著書に『犯罪報道の犯罪』『メディア・リンチ』など多数。ビデオ『人権と報道の旅』を監修。