

(1999年2月13日付)
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キャンペーンの背景に社会的な不安が 混乱時のスケープゴート(生けにえ)としての教団たたき |
昨年、本欄に「近代ジャーナリズムと宗教憎悪」と題した論考(二月十四日付)を寄せた神戸女学院大学の村上直之教授が、戦後の宗教報道について刺激的な実証研究に取り組んでいる。ここでは、「近代のジャーナリズムそのものが“現世教”という一つの宗教なのではないか。このことを戦後の宗教報道を通して逆照射したい」とする氏に問題意識と仮説を聞いた。(聞き手・野山智章記者)
本来、社会学とは〈社会的なるもの〉、要するに人間の集合的な意識や、その時代に暮らす人たちの無意識の層を解き明かそうとする学問です。個々人の意識や、あるいは単なる流行といった一過性の問題ではなく、もっと深いところに光を当てるのが社会学ですから、宗教についての報道、宗教とメディアの関係についても考えてみたいと思った訳です。
これは仮説ですが、ある宗教に対してキャンペーンが張られる時、背景には、その時代の人々の意識に、ある種のパニック状態が存在しないだろうか――。つまり、宗教そのもの、その宗教の本質が何かとかということではなくて、宗教を採り上げるジャーナリズムのまなざしが研究テーマです。
できれば日本に近代ジャーナリズムが誕生した時から、あるいはかわら版の時代から検証すべきだと思いますが、資料的にも膨大(ぼうだい)なので、とりあえず第二次大戦後に絞って研究しています。こういう言い方をすると私の独自の発想のように聞こえるかも知れませんが、イギリスでも同種の研究が行われています。
十七世紀イギリス、いわゆる市民革命の時代に、多くのキリスト教系のセクトが生まれた。このうち「ランターズ(Ranters=喧騒派)」という団体に対し、当時、非常にスキャンダリズム的なニュース・パンフレットが出回っている。ランターズ信者たちは「神は罪深い行為を喜び、しかもキリストの復活は占星術によって決定される」と信じるとか、「すべての女は共有されねばならないし、飲酒や乱交が奨励される」などと攻撃する内容です。
しかし、多くは全くのでっち上げだった。つまり何を意味するかというと、パンフレットの主たる目的は、キャンペーンを張ることで、人々の道徳的な混乱状態を鎮(しず)めようということでした。これが近代スキャンダリズムの起源であり、しかも当時の共和制政府のイニシアチブ(主導)で行われたという意味で、ある教団をスケープゴート(生け贄〈にえ〉)化していく、もっとも純粋なケースです。
一九七〇年代になってランターズ派は、いわゆる「自然に還れ」というヒッピー運動の高まりの中で見直された。それで分かったことですが、彼らは言われるような「秘教的な急進セクト」でも「都市下層民衆の大衆運動の組織」でもなかった。危険な存在として、つくられたものだったのです。淫(みだ)らなものがなければ、捏造(ねつぞう)してまでも攻撃の対象とした。それは当時の権力側にも一般民衆の側にもあった、集合的な不安を鎮静するための“需要”に根ざしたキャンペーンだったのです。
日本の戦後の宗教報道に話を戻すと、昭和二十年代は、ある意味で反宗教キャンペーンの時期だと思います。ジャーナリストたちが軍部に協力した戦前・戦中の在り方から豹変(ひょうへん)し、自らを民主化運動の旗手という自覚で「封建制」を打倒するキャンペーンを張った。戦後の混乱期、当時のジャーナリストに「あるべき日本の市民社会」という想定があり、そのために必要なスケープゴートが宗教団体だった。
いわゆる「踊る宗教」、北村サヨの採り上げ方などは典型でしょう。「踊る神様フラダンスの挑戦」「踊る神様ハワイへ行く」といったものを、映画館のニュース映画で見たりしている時代なんですよ。評論家の大宅壮一も当時、『教祖金豪伝』を書いて、ある教団を攻撃したりしている。大宅の「功罪」の「罪」の方だと思うのですが、特にお金の問題というか、新興宗教は儲(もう)かるというような、当時の民衆にはそれが一番ウケるのかもしれませんが「宗教は金儲け」的なキャンペーンを張っている。
ところで、大宅はよいことも言っている。“人間は無思想ではいられない、必ず何かに染まってしまうもので、無思想でいるのは大変なんだ”と。言い換えれば「宗教を持っていない人間はいない」という表白でしょう。私は、近代ジャーナリズムが宗教を憎悪するのは、マスコミ人が「現世教」の盲信者ゆえに激しく攻撃するのだ、という仮説を立てています。また、ジャーナリストは現代の司祭的地位を独占しているとも……。
一つのアイデアですが、戦後日本の宗教報道を読み解くうえで、“日本マスコミ教の教祖”ともいうべき大宅壮一の「反宗教」の観点とは何かを詳細に調べ、クローズアップしてみたらどうでしょう。彼の名を冠したノンフィクション賞を主宰(しゅさい)する『文藝春秋』を含め、今のジャーナリズム界で、大宅を批判するのは“タブー”になっていますが、私は、やらなければいけない重要な課題だと思います。(談)
略歴 むらかみ・なおゆき 一九四五年高崎市生まれ。高崎高校卒業後、京都大学教育学部卒。京都大学助手を経て現職。主な著書に『花のおそれ』(誠文堂新光社)、『近代ジャーナリズムの誕生―イギリス犯罪報道の社会史から』(岩波書店)などがある。